アポロとソユーズ

米ソ宇宙飛行士が明かした開発レースの真実

デイヴィット・スコット+アレクセイ・レオーノフ

 この本は、米ソが月面レースを繰り広げていた時代に、宇宙飛行士として第一線で活躍していた二人の人物の手記です。

 アポロ11号が月面着陸を果たし、「勝者はアメリカ」と私は簡単に片付けていました。ところが、悪のように思っていたソ連に、レオーノフをはじめ、宇宙飛行主任のコロリョフ、初めて有人宇宙飛行を果たしたガガーリン等、敬愛すべき人物が多数いたことをこの本で初めて知りました。

 アメリカのデイヴィット・スコットは、ジェミニ8号で、ニール・アームストロングと共に宇宙に飛び立ちました。ところが、ドッキング実験の後、ジェミニ8号が1秒間に1回転し、更に加速するというアクシデントに見舞われ、ギリギリの状態で帰還したことはあまり知られていません。アポロ計画では、アポロ15号の船長として、有名なジェネシスロック(創世記の石、約41億年前の斜長石)を発見したことでも知られています。

 ソ連のアレクセイ・レオーノフは、人類で初めて宇宙遊泳を果たした人物です。しかし、ソ連は秘密主義であったため、レオーノフが宇宙遊泳の後、宇宙船になかなか帰還できず、危険な状態にあったことは公表しませんでした。また、レオーノフは、ソユーズ=アポロ計画(アポロとソユーズのドッキング)で、ソユーズの船長としても活躍しました。ソ連の宇宙開発上、重要な役割を担い続けました。

 ソ連のスプートニクの打ち上げ、ガガーリンの宇宙初飛行、女性初の宇宙飛行士テレシコワ、そして人類初の宇宙遊泳を果たしたレオーノフ。これらを次々に手がけたのが、ソ連の宇宙飛行主任コロリョフでした。コロリョフは、米CIAの暗殺を恐れたソ連首脳部が、その存在を隠していた人物です。コロリョフは宇宙開発に関して多大な権力を持っていましたが、スターリンの粛清の嵐に巻き込まれ、収容所群島で命を失いかけた過去を持っています。

 「米ソの対立」と一言で片付けられそうな宇宙開発競争ですが、米ソの宇宙飛行士同士は、お互いに敬愛しあっていたこともこの本で知りました。

 デイヴィット・スコットは、アポロ15号の月面探査の最後に、月面探査車(ローバー)のそばに、死者を表す小さな人形と記念のプレートを埋めたそうです。そのプレートには、月面レースの途中で亡くなった米ソ14人の宇宙飛行士の名前が刻まれていました。「チャーリー・バセット、バーベル・ベリャーエフ、ロジャー・チャフィー、ゲオルギイ・ドブロボルスキイ、テッド・フリーマン、ユーリ・ガガーリン、エドワード・ギブンス、ガス・グリソム、ウラジミール・コマロフ、ビクトル・バトサエフ、エリオット・シー、ウラジスラブ・ボルコフ、エド・ホワイト、C・C・ウィリアムズ」

参考文献:アポロとソユーズ,デイヴィット・スコット+アレクセイ・レオーノフ・鈴木律子+奥沢駿訳、株式会社ソニー・マガジンズ

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

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