伊達英太郎氏は、紀元2600年[1940年(昭和15)]記念事業として、望遠鏡と観測地についてのアンケート調査を行いました。その一環でしょうか、天文写真帖には、日本全国のアマチュア天文家や望遠鏡の写真が多数残されています。
今回は、戦災で失われた、陸軍少将小嶋時久氏の20cmフォーク式赤道儀をご紹介します。
陸軍少将小嶋時久氏(1881-1962)は、退官時は陸軍自動車学校長でした。退官してから、1937年(昭和12)に退職金を使って製作したのが、この望遠鏡と観測施設です。5枚目写真は、移動屋根式観測施設の外観です。この観測施設は、コンクリートで家の2階の高さまで柱が立ち上げられ、このコンクリート柱と接触しないように、他の部分が作られました。屋根はレールで移動する、スライディングルーフです。製作当初は山崎鏡でしたが、1943年(昭和18)に木辺鏡に交換されています。
この望遠鏡と観測施設は、1945年(昭和20)5月25日の東京大空襲により、東京・大森にあった自宅と共に焼失しています。
(参考文献)
小嶋時久,Wikipedia,2020.7.18閲覧
続 日本アマチュア天文史,続 日本アマチュア天文史編纂会,恒星社厚生閣,1994年(p274,283)
宇井純物語,環っ波,2020.7.18閲覧,http://www14.plala.or.jp/wappa/uijyun/sub02/13/sub030202html.html
(写真は全て伊達英太郎氏天文写真帖より)
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2020.07.23 12:04
2020.07.21 22:14
2020.07.21 13:14