服部博氏の21cm反射赤道儀

 服部博氏は、東亜天文協会東京支部の会員でした。また、「すばる会」(後の「川崎天文同好会」)の顧問でもありました。「日本アマチュア天文史」に、服部博氏に関する記述がありますので引用します。

 「服部は当時有力なアマチュアで、東京雪ケ谷に住み、当時としては珍しい21cm反射赤道儀を持ち、蔵書も多く我々の指導者格の人であった。」

 また、服部氏は木辺成麿氏と共に、紫金山天文台の60cm鏡製作のために、小糸製作所のスタッフとして指名されたという記事も残っています。

 観測室に設置された21cm反射赤道儀とそれを使って撮影された月と木星です。服部博氏の「初めて望遠鏡を購入せられる方々の為に(1)」の中に、「反射望遠鏡の筒内気流の改善のために、鏡筒の約1/3綿ネルと防水布とを縫い合わせたもので包むと非常な好結果を得た。」という記述があります。この写真から、その工夫の様子がよく分かります。

 上2枚は、経緯台に載せられた21cm鏡筒です。3枚目は、5cm屈折赤道儀です。(いずれも服部博氏所有)

 残念なことに服部博氏は、1944年(昭和19)に病没し、残された機材は東京・麻布の東大に引き取られましたが、1945年(昭和20)5月25日の空襲で焼失しました。

(参考文献)

日本アマチュア天文史,日本アマチュア天文史編纂会,恒星社厚生閣,1987

続 日本アマチュア天文史,続 日本アマチュア天文史編纂会,恒星社厚生閣,1994

服部博,初めて望遠鏡を購入せられる方々の為に(1),天界,1936,17(189);102-108

(写真は、いずれも伊達英太郎氏天文写真帖より)

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

0コメント

  • 1000 / 1000