保積善太郎氏(1)

169mm反射経緯台(中村鏡)・160mm反射経緯台(木辺鏡)

 保積善太郎氏は、アストロ光学工業光学技術部長として活躍され、後年「天文と気象」(地人書館)の編集にも携わった方です。

 上は、1942年(昭和17)頃の東星会第2回例会(於:銀座明治製菓)の写真です。(保積氏は後列右側、左は中野繁氏、前列右端は滝田正俊氏)

 保積善太郎氏は、太陽観測や月面・遊星面観測に熱心でした。観測記録を「天界」に多数投稿しています。

 上3枚は、169mm反射経緯台(中村鏡)です。経緯台がピラー脚に搭載されています。

 上の左側が160mm反射経緯台(木辺鏡)、右側が75mm反射経緯台です。160mmは、ハーフピラー仕様、75mmは、主に太陽観測に使用されたようです。

 保積氏はとても器用な方だったようです。上1枚目は月球儀、下は土星儀です。いずれも、保積氏製作。

 保積氏は、自宅の観測場所を「清澄(きよすみ)天文台」と呼んでいました。

(参考文献)

続 日本アマチュア天文史,続 日本アマチュア天文史編纂会,恒星社厚生閣,1994 

(写真は、いずれも伊達英太郎氏天文写真帖より)


中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

2コメント

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  • double_cluster

    2020.08.01 01:48

    おはようございます。いつもコメントをありがとうございます。中野繁氏は、当時慈恵医大在学中だったと思います。保積氏の169mm中村鏡ですが、「中村要と反射望遠鏡」(冨田良雄・久保田諄著、ウインかもがわ)によると、NKM193(有効径166mm,焦点距離1260mm,1930年製作)ではないかと考えます。私の15cm鏡も、外径は155mm(有効径152mm)あります。有効径が166mm、外径は169mmということかなと推察します。私が中村要氏を知ったのも「月面ガイドブック」でした。中村氏の袴を履いた少年のような姿が印象的でした。私は中村鏡と出会ってから、月の魅力に気付き、その後クック25cmで月を見るようになってさらにそれが深まりました。「月面ガイドブック」をこの夏、じっくりと読み直そうかと思っています。(恥ずかしながら、今まで熟読していませんでした😰)
  • manami.sh

    2020.07.31 22:58

    おはようございます。 保積善太郎氏と中野繁氏が並んでいる写真は、お二方とも20才前後でしょうか。 保積善太郎氏は、いろんな望遠鏡を持っていらっしゃったんですねぇ。 月球儀は、すごーいです。 高橋実氏の「月面ガイドブック」には、大変、お世話になりました。 小島修介氏の名前を知ったのも、ここでした。 高橋実氏の観測記録等々は、今、どうなっているのか。 一度、お会いしたかったです。 たぶん、ここに至るまでの日本の月面観測史を書けるのは、高橋実氏 だけだったと思います。