保積善太郎氏(2)

東星会と皆既日食

 東星会は、東亜天文協会東京支部・関東支部を一つにまとめようとして、若い天文愛好家によって結成された会です。上は、その創立総会の写真です。有名な野尻抱影氏(1885-1977)が前列左から3人目、その他に冨田弘一郎氏、古畑正秋氏のお顔も見えます。保積善太郎氏は、後列右から3人目です。

 1941年(昭和16)9月21日に、皆 既日食がありました。皆既は黒海とカスピ海の中間から始まり、シベリア、中国、台湾、石垣島、そして小笠原諸島を経て、太平洋上で終わりました。山本一清博士は、当時少年だった坂上務氏をはじめ、東亜天文協会の会員8名と石垣島に遠征をしています。上の観測隊の写真には、伊達氏の「保積氏の日食観測隊」との説明がありました。山本一清氏の日食観測隊に、保積氏も参加したのでしょうか。残念ながら部分日食の写真だけが残されており、皆既日食の写真はありません。

 1941年(昭和16)は日中戦争の最中であり、この年の12月8日には太平洋戦争が開戦されます。

(参考文献)

日本アマチュア天文史,日本アマチュア天文史編集会,恒星社厚生閣,1987

1941年9月21日の皆既日食,Wikipedia,閲覧日2020.8.1


中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

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