一戸直蔵氏

 「月」は、1909年(明治42)、天文学者一戸直蔵氏(1878-1920)が、月について書いた日本初の啓蒙書です。専門家が、大衆に向けて科学書を書くということがなかった時代の著作です。「月と地球」、「月の運動」、「月世界探検」、「月の地球に及ぼす影響」、「地球と月の歴史」が内容です。各章の扉には、漢詩や古文などが散りばめられ、著者の趣味が色濃く出ています。

 私が入手したのは、1929年(昭和4)増訂二版です。文体の古さからか、とても読みづらいのが正直なところです。

 上は、巻末に折り込まれている月面図です。地図に書き込まれている地形は、かなり限られています。

 「月」もさる事ながら、興味深かったのが、一戸直蔵氏の生涯でした。

 一戸直蔵氏は、1878年(明治11)、本州の最北津軽半島西部に生まれました。生家は、地元では比較的裕福だったようですが、父親の学問に対する理解は乏しかったようです。そのため、家出をし、進学の夢を果たします。東京でも自力で突き進み、東京帝国大学に入ります。星学科に進んだのは、学生が少なく、教授等から厚遇が得られるためでした。

 入学後も、一戸直蔵氏の猪突猛進は続きます。結婚相手の実家の援助を受け、私費でアメリカ留学(ヤーキス天文台)をします。上司ではなく政治家の伝手を頼り、私設天文台実現のため、台湾新高山天文台調査登山をします。若手研究者を束ね、東京天文台三鷹移転計画反対運動を起こします。ぶつかるぶつかる。ついには、東京天文台長寺尾寿氏から罷免されてしまいます。

 東京天文台を去った後は、出版業を営み、「現代之科学」を発行します。しかし、これもやがて立ち行かなくなります。最期は病が篤くなり、「人生の最後はコンナものだ。」と呟きつつ、43歳で世を去りました。

 あまりにも激しい一戸直蔵氏の生涯の故か、「月」を読み進めようという気力が、萎えてしまう自分でした。

(参考文献)

高橋実,月面ガイドブック,誠文堂新光社,1974

月,一戸直蔵,大鐙閣,1929

中山茂,一戸直蔵,リブロポート,1989

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

3コメント

  • 1000 / 1000

  • manami.sh

    2020.08.14 10:51

    @double_clusterほんと、暑い日が続きますねぇ。射場天体観測所跡のアップ、ありがとうございます。ノスタルジックになります。次は、何でしょうか。楽しみにしております。
  • double_cluster

    2020.08.14 01:12

     猛烈な暑さですが、お変わりありませんか。コメントをありがとうございます。中山茂氏のパラダイム論、知りませんでした。科学史にも興味がありますので、また読んでみようと思います。教えていただいき、ありがとうございます。東京帝大の星学科を調べてみると、学者同士の半目やらゴタゴタが見えてきますね。京都帝大の天文同好会は、アマチュアに大きく開かれていましたので、山本一清氏を頂点としたピラミッド構造がはっきりしていたように思います。しかし、天文同好会の活動が京都帝大理学部の同僚等に煙たがられて、山本一清氏の京都帝大退官にもつながっていったようです。  ところで、昨日(2020/08/13)射場天体観測所跡地に行ってきました。阪神淡路大震災の被害が大きかった地域ですので、比較的新しい住居が立ち並び、昔の写真の面影はありませんでした。ただ、北側に河川公園が広がっていますので、少しだけ昔の写真の風情は感じられました。現在は市街地ですので、暗い夜空は期待できません。射場天体観測所(3)の最後に写真を追加しましたので、よろしければご覧ください。
  • manami.sh

    2020.08.13 13:28

    高橋実「月面ガイドブック」に日本最初の月の本として出てきていますねぇ。中山茂「一戸直蔵」は 知りませんでした。近くの図書館に行き、一戸直蔵で蔵書検索してみると中山茂「一戸直蔵」の他に 福士光俊,「津軽が生んだ国際的天文学者 一戸直蔵」,青森県文芸協会,2014というのがあり、借りてみました。こちらには、読みやすくした「過去を追想して将来に及ぶ」、一戸直蔵の長男直信の「うろ覚えの父と挿話」等が資料として収められています。中山氏の本には一戸直蔵が「子供の科学」の原田三夫氏とつながりがあったことも記されており、原田氏の方に目が行っちゃいました。(原田氏は保積善太郎氏と関係も持っていましたし。)中山茂といえば、私的にはトーマス・クーンのパラダイム論を 思い浮かべます。