中頓別・枝幸(えさし)・紋別・雄武(おむ)での皆既日食
(1枚目は、北海道皆既日食のスケッチ、2枚目は中頓別での皆既日食写真)
1936年(昭和11)6月19日の北海道皆既日食については、当ブログ「木辺成麿氏(3)」でもお伝えしたことがあります。ただ、伊達英太郎氏が残された資料(写真・書簡・新聞記事等)が豊富にありますので、重複する部分はありますが、この日食についてもう一度丁寧に振り返ってみたいと思います。
この日食は、1918年(大正7)6月9日の皆既日食の1サロス周期(6585.3212日、約18年と10日あるいは11日と8時間)後の日食に相当します。皆既帯は、日本では昼過ぎに北海道の稚内と網走と根室を通過しました。日本はこの日食の観測には最も適した位置にあり、国内の観測者はもちろん、諸外国の観測隊も多数来日しました。
(1枚目の写真は京大とチェコの観測班、右端が木辺成麿氏。2枚目は、チェコのスホウカ博士一行。)
中頓別では、関西の天文グループの木辺成麿氏などが観測を行いました。木辺氏は当時、京都大学花山天文台員でした。晴天に恵まれ、観測は成功しました。
木辺成麿(きべしげまろ)氏(1912-1990)は、中村要氏から反射鏡研磨の指導を受け、中村氏の逝去後、本格的に研磨に打込み、木辺鏡(きべきょう)の名で知られる名鏡を多数製作した権威でした。本業は、滋賀県中主町の錦織寺門跡寺院の門主でした。また、変光星の熱心な観測者でもありました。
(食分が進み、鬼気迫る表情の木辺成麿氏[左]と小山秋雄氏[右])
小山秋雄氏(1907-1938)は、1931年(昭和6)京都帝国大学理学部卒。専攻は変光星。1935年3月以降は、倉敷天文台で変光星の研究をしながら、アマチュアの指導を献身的に行いました。北海道皆既日食の2年後、1938年(昭和13)8月11日水泳中に、32歳で急逝しました。
4枚目写真は、中頓別の東京天文台観測所です。
枝幸では、京都帝国大学理学部宇宙物理学教室、花山天文台、緯度観測所及び中国の観測隊が枝幸小学校の校庭で観測を行いました。
1枚目写真は、紋別でのコロナスケッチです。描いたのは、北海道銀行職員の渡辺善次氏です。2枚目写真は、雄武(おむ)小学校で、京都帝国大学(上田譲班)が、アインシュタイン効果の観測に用いた大屈折鏡です。
(参考文献)
サロス周期,ウィキペディア,2020.8.30閲覧
日本アマチュア天文史,日本アマチュア天文史編纂会編,恒星社厚生閣,1987
(写真は全て伊達英太郎氏天文写真帖より)
3コメント
2020.08.30 11:07
2020.08.30 11:02
2020.08.30 10:01