北海道皆既日食(2)

名寄(なよろ)での皆既日食

 1936年(昭和11)6月19日の皆既日食では、名寄中学校の観測が記録に残っています。

 名寄は、南限界線に近いため、皆既継続時間は中心線上に比べて1分ほど短かったようです。名寄中学校(現:名寄高等学校)では、当時の橋本喬木校長が総指揮をとって、教職員と生徒を総動員して観測を実行しました。晴天に恵まれ、日食経過の記録写真や諸種の資料を得ています。

 名寄中学校では、皆既日食後、1936年(昭和11)7月5日、「健児」という校内新聞を発行しています。内容は全て、皆既日食観測報告です。

 「健児」によると、観測の陣容は、

1.部分食及コロナ撮影班

2.コンタクト測定班

3.空の明るさ測定班

4.太陽の地上像撮影班

5.星の出現順序観測班

6.コロナ及プロミネンスのスケッチ班

7.気温、気圧測定班

8.動物異変観測班

9.計時班

10.情景撮影班

といった充実したものでした。また、事前に東京天文台や京都大学花山天文台に観測の指導を仰ぎ、京都大学花山天文台の柴田淑次氏に依頼して、名寄中学校で日食講演会を行なっています。

(参考文献)

日本アマチュア天文史,日本アマチュア天文史編纂会,恒星社厚生閣,1987,P.77

健児,坂井武,名寄中学校校友会,1936

(写真資料は全て、伊達英太郎氏天文写真帖及び収集帖より)

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

2コメント

  • 1000 / 1000

  • double_cluster

    2020.09.07 12:43

    いつもコメントをいただき、喜んでいます。ありがとうございます。1936年は、まだ日中戦争が始まっていませんので、manamiさんもおっしゃっていたように、日本中でこの天文イベントを楽しんだようです。この新聞は、木辺氏か、東亜天文協会関係の方のお土産だったのではないでしょうか。日本は、戦前の最後の平和な時代だったんですね。
  • manami.sh

    2020.09.07 11:56

    学校も総力を挙げて取り組んでいるのは、やっぱり一大イベントというのもあったからでしょうか。 動物異変観測の記録も面白いですねぇ。 伊達氏は、どういう経路を通じて、この学校新聞を手に入れたのでしょうか。 私は、国内での部分日食しか見た時がありませんが、部分日食でも、ワクワクするので、皆既日食だったら、一生もののイベントです。