2018.12.30 12:42六甲星見臺(だい) 萑部(ささべ)進・守子夫妻(神戸市)が、六甲山麓に1933年(昭和8)頃作った観測所が、六甲星見臺です。(1枚目写真右側が観測所) 萑部夫妻は当初、イギリスのリンスコット47cm鏡を搭載した望遠鏡を設置する予定でした。しかし、使い切れないという理由で、木辺成麿氏に26.5cm鏡を搭載した反射赤道儀の製作を依頼しました。26.5cm反射赤道儀の着工は1934年(昭和9)8月、完成は1934年12月末でした。これには、15cm屈折望遠鏡(F15)が副鏡として搭載されました。反射望遠鏡の筒よりも、屈折望遠鏡の方が長いスタイルの機材になりました。機械部分の製作は西村製作所です。 女性アマチュア天文家が珍しい時代、萑部守子氏は火星スケッチを残しています。同様に...
2018.12.24 08:54樋上 敏一氏 1939年(昭和14)の火星大接近は、最接近が7月28日(衝は7月23日)、距離5799万Km、視直径24.1秒でした。いわゆる大接近の中では、やや条件が悪いものでした。火星の赤緯も-26°あまりと、南天低いやぎ座の中にあったので、シーイングの点でも不利でした。 火星観測のベテランの前田静雄氏や渡邊(後の佐伯)恒夫氏が出征中で不在でしたが、若手を含め27名の観測者が共同観測を行い、合計342枚のスケッチを残しています。その中に、今回ご紹介する樋上敏一氏がいました。樋上氏は、1939年の時点で、京都府立京都第一中学(現、京都府立洛北高等学校)の学生でした。 スケッチ用紙は、東亜天文協会の様式に則っていますが、用紙の裏面の記入方等は京都第一中学オリジナル...
2018.12.16 02:59土星環消失 1936年(昭和11)6月に、約15年ぶりとなる土星環の消失現象が起きました。 土星環の厚さは、約10~20m程しかないと言われています。環を真横から見た時は、地球からは全く見えなくなってしまいます。この現象のスケッチを、佐伯(旧姓:渡邊)恒夫氏が残しています。当時の写真技術を考える時、環の消失現象を記録するのは、スケッチが唯一の方法だったのかもしれません。 私はこのスケッチを見て、描写力を含めて、とても美しいと感じました。ちなみに、アンサとは、線状になった環のことです。(資料は、東亜天文協会遊星面課[伊達英太郎氏所有]より)
2018.12.02 12:04テレコンビノ 今回ご紹介するのは、テレコンビノです。 笠井トレーディングのワイドビノが始まりの広視野ガリレオ式双眼鏡。続く商品がビクセンからも販売され、天文愛好家にはこのタイプの双眼鏡は馴染み深いものとなっています。私もかつて、評価の高いニコンテレコンバーターTC-E2を使ったテレコンビノを自作し、使用していました。確かによく見えましたが、大きくて重かったです。そこで、3~5枚目にある、ケンコー製テレコンビノ(口径56mm、320g)をヤフオクで入手し、現在使用しています。ニコンのテレコンより性能は劣るかもしれませんが、夜間の使用には十分だと感じます。横幅が120mm、縦が60mm、厚みが40mmと小ぶりなのもいいところです。このテレコンビノの製作者は、ご自分でア...