2021.10.31 06:42天体写真絵ハガキ(2) 知新観象台の清水真一氏からの最初の通信です。日付は1933年(昭和8)5月です。 「拝啓 過日は笹部君より御照状仕り有り候 けだし貴君の御精励は 天界誌上にて承りあり 数◯次致し居り候 小生同好会へは以前より入会致し度しとせん所は 望遠鏡も所有せず 今春 3インチを4インチに変え 且つツインカメラとなりし候 ポツポツ星野写真でもと装置に不備の点もあり なかなか思うように至らず候 4インチは短焦点F11位に仕度く 太陽観察も昨秋より花山へ取り敢えず送りしも 4インチの据付遅れ 且つ 先輩諸兄の観測を参考致す可し」(新聞切り抜きの下に書かれた文面)
2021.10.25 09:32天体写真絵ハガキ(1) 上の写真は、1934年(昭和9)9月28日、知新観象台での観測風景です。 左は清水真一氏(1889-1986)、右は射場保昭氏(1894-1957)清水氏の手書きの文章から土星観測中だと分かります。 戦前の天体写真の雄、西の射場氏と東の清水氏が対峙している様は、緊張感すら漂います。 射場氏の観測は1928年から1945年までの17年間。清水氏の天体写真撮影は1932年から1945年までの13年間。お二人が交錯した奇跡の瞬間です。 清水氏と親交が深かった伊達英太郎氏の許には、清水氏から送られた天文絵ハガキが多数残されています。(参考文献)日本アマチュア天文史,日本アマチュア天文史編纂会,恒星社厚生閣,1987(資料は伊達英太郎氏天文写真帖より)
2018.09.15 12:01知新(ちしん)観象台3 知新(ちしん)観象台1でもお伝えしましたように、清水真一氏はダニエル彗星の再発見で有名です。感度が低い写真乾板で彗星を撮影するのはとても難しかったと思われますが、清水氏はメトカーフ法(彗星核の動きに合わせてガイド撮影をすること)を用いて、素晴らしい彗星写真を残しています。 清水氏の高い技術(撮影・現像・焼き付け)があったので、12.5等の暗いダニエル彗星が再発見されたのだと思われます。 1枚目の写真は、下保彗星とペルチャー彗星。2枚目は、パラスケボポゥロス彗星。3枚目は、WHIPPLE-FEDTKE彗星。 4枚目の写真は、L.C.ペルチャー氏の「星の来る夜」(L.C.ペルチャー、鈴木圭子訳、地人書館)の表紙です。L.C.ペルチャー氏は、生涯に12個の...
2018.09.08 03:31知新(ちしん)観象台2 今回は、清水真一氏が撮影した星雲星団の写真を掲載しました。清水氏は、当時アグファのイゾクローム乾板(DIN18°)を使用していました。しかし、富士フィルム研究所長の好意で、レギュラーエマルジョンの乾板を作ってもらい、バッキングもしてもらえていたようです。(DIN19°=ASA63°) M31(アンドロメダ銀河)やM33、北アメリカ星雲は3時間露出、M13は1時間露出、M45は45分間の露出です。M42の写真には、馬頭星雲もきちんと写っています。いずれも、高い撮影技術が要求される長時間露出の写真です。 1枚目の写真右側の人物は、知新観象台を訪れた山本一清氏。(写真はいずれも伊達英太郎氏天文写真帖より)参考文献:日本アマチュア天文史,日本アマチュア天文史...
2018.09.01 12:34知新(ちしん)観象台1 知新観象台は、故清水真一氏(1889-1986)が静岡県島田市の自宅(知新薬局)に設立した私設天文台です。伊達英太郎氏も天体写真に本格的に取り組んでいたので、清水氏とは深い繋がりがあったようです。ちなみに、知新は「温故知新」からとられた言葉です。 1920年代が、日本のアマチュア天文家による天体写真の幕開けと言われています。天体写真を撮影する数少ないアマチュアの一人が、清水真一氏でした。 清水真一氏の特筆すべき業績として、1937年のダニエル周期彗星の発見が挙げられます。東京天文台の広瀬秀雄氏の位置予報に基づき、12.5等の彗星の撮影に成功しました。1939年(昭和14)に、清水氏は日本天文学会天文発見賞を受賞しています。また、1976年(昭和51)...