2021.05.09 03:131937年(昭和12)の火星・金星スケッチ(4) 1937年分として保存されていたスケッチの最後となります。1937年は日中戦争が始まった年です。1945年の終戦に至るまで、戦時色がどんどん濃くなっていきます。そのような時代でも観測を続けられた、アマチュア天文家に敬意を表します。 初めは小林義生氏の火星スケッチです。
2021.05.08 08:041937年(昭和12)の火星スケッチ(3) 今回は、青木章氏、中村文造氏、津久井修氏の火星スケッチをお送りします。青木氏は、1942年(昭和17)に東亞天文協会遊星面課水・金星班班長になっています。
2021.05.05 04:361937年(昭和12)の火星スケッチ(2) 1937年の火星スケッチ2回目は、前田治久氏(後に静雄に改名、1914-1952)です。1936年(昭和11)6月30日に発行された、東亞天文協会観測部遊星面課「回報」第壱号の、前田治久氏の紹介記事から始めます。 「前田治久氏・・・昨年(1935年)の火星接近に凄い所を見せられ、10cmの威力を十二分に発揮された。将来は火星を専攻されると言うから、差し詰め、日本のピケリングと言う処。本年中に20cm反射を完成され、1937年度の火星接近に備えられる筈である。他の天体は観測する気がせぬそうだから、徹底的な火星狂である。」 前田氏の機材等についての記述はありません。
2021.05.04 01:031937年(昭和12)の火星スケッチ(1) 1937年は、火星の最接近が5月28日(衝は5月19日)、距離7610万Km、視直径18.4秒でした。観測陣は充実し、渡辺恒夫氏は花山天文台の30.6cmクック屈折と15.5cm反射、前田治久氏は20.8cm反射(400倍によるパステルスケッチ)、伊達英太郎氏は26cm木辺鏡、木辺氏は31.8cm自作反射という、アマチュアとしては国際水準でも引けを取らないものでした。戦前の一番充実した、火星観測の年となりました。 1回目は、渡辺恒夫氏(当時花山天文台員)による火星スケッチ(ハガキ)です。なお、消印が不明瞭なため、掲載順が違っている恐れがあります。どうぞ、ご了承ください。