北海道皆既日食(3)

木辺成麿氏の電報とハガキ

 木辺成麿氏と伊達英太郎氏は、同じ1912年生まれということもあり、とても親しい間柄だったようです。また、木辺成麿氏は、中村要氏の後任として、天文同好会大阪南支部(伊達英太郎氏主宰)の顧問になっています。

 上は、木辺成麿氏から伊達英太郎氏に送られた、日食観測成功の電報です。

 「ヒバリガオカ ダテエイタロウ 昭和11年6月19日 (発信局)ナカトンベツ (受付)午後4時19分 (受信)午後4時52分 セイテン ノゾミ タツセリ キベ」 

 木辺氏は、伊達氏に旅先から次々と便りを出しました。

 第一信は、福井あたりからです。白山、立山等のことが書かれています。木辺氏の30cm鏡が、大工の不注意で破損したことが書かれています。

 「前略 出発前の極端な忙しさの内に先生から電報あり 慌てて本日〇飛び出しました。それでも余暇を見て約2時間 福井で姉に出会い 青森行急行に乗込みました 3日許り準備〇の事とあと始末とに掛り 寝も出来ず頭が変な具合のままに 昼夜の一人旅は心淋しいですが  寝台にのびのびとして居るので 気分もやや良し。 目下金澤を過ぎ 加越の国境に掛る。北陸はすでに田植が始まって居ますが 白山は名の如く「モンブラン」。立山は未だですが 阿弥陀が原は駄目らしく 少々曇って来ました。本当に何も出来ず御〇し事ばかりですが御許しを 21日は京都へ行きましたが御出会い出来ませんでした。16日に小生の30cm鏡が大工の不注意で破れました。使用可能とはいえ気を〇らせました。取敢えず出発御知せまで 又車中より御便り申上げます」 車中にて 木辺生 昭和11年5月25日消印

 第二信は函館に近づいた、青函連絡船(津軽丸)の船内で書かれています。寒くて服を着込んだこと、5年前の1931年に青函連絡船に乗船した時は、船中で写真を撮ったため、刑事に捕まりそうになったというエピソードが書かれています。

 「第二信 いよいよ本土を離れ目下青函連絡船、津軽丸(3500トン)にのり込みました。昨夜、寝台でよく寝ました。気分よろしい。大分寒く合オーバー巻まき・合服・厚手のメリヤス・パッチで丁度よい位です。海は静穏、空は曇り、5年前この船でパテーを撮し刑事につかまえられであやうく没収されかけた苦い残影があるので、写真機双眼鏡はかぎをかけました。凡そ道中では一番風景色がよいのですから皮肉です。沖合では少少波が出ました。多くの人は寝てますが僕には頃合の揺れ心地、函館近し」津軽丸にて 木辺生

 第三信は、札幌・平生(ひらふ)辺りからです。駅名が面白く、「食品名や化物」のような感じと記されています。また、出発までが忙しかったので、道中は食っては寝るの日々だから「ツカレヤシマヘン」とユーモラスな京都弁で綴られています。

 「第三信 札幌着、大分寒し、遅咲きの梅が残ってます。長万部(オシヤマンベ)平生(ヒラフ)昆布(コンブ)倶知安(クッチャン)等大臣やら食品やら化物やらわからん駅を過ぎました。その辺線路近くに雪さえあります。いよいよあやしい。大沼と森付近の太平洋岸は美しい。忙しい目から解放されたので車中では各所へハガキを書いては風景を見 食堂へ行っては次には寝る。一寸もツカレヤシマヘン 駅のホームでそばが食いたいが5分で熱いのをかき込むのもどうか?(羊蹄山=エゾ富士何々富士の中では一番本物と似てるそうです)」昭和11年5月27日消印 サッポロ駅にて

 第四信は、中頓別に到着したことを告げるものです。札幌から旭川まで、「ケッタイ」な駅名が続いていたこと、乗り込んだ一両だけの客車にはストーブが焚かれ、貨車が二十輌も連結されていたことが書かれています。たくさんの名士の出迎えの中、「威風堂々たる我輩、御着遊ばされた次第」とユーモアたっぷりの書きぶりで結ばれています。

 「札幌を乗り込んで旭川まで寝ました。2時間して名寄(なよろ)着これで皆既線内に入った正に27日午前5時21分。ところがこれから急に変わった。列車に貨車が付いて一駅毎に5分は止まる。名もケッタイ日〇智東(ちとう)智慧文(ちえぶん)美深(びうか)紋穂内(もんほない)恩根内(おんねない)咲来(さつくる)音威子府(おといねっぷ)ここで乗換え いよいよ待遇悪し、客車はちっぽけな三等車1輌貨車は20輌 人間の方が御そえものらしい。実にややこしい。客車の中にストーブがたいて居る。上音威子府 小頓別 上頓別 敏音知(ぴんねしり)松音知(まつねしり)中頓別に着は9時前 府長・校長・村会議員・ケイサツ署長等数十名御出迎え 威風堂々と御着遊ばされた次第 旅行記終り」昭和11年5月28日 北海道枝幸郡中頓別 日食観測隊 木辺成麿

 第五信は、中頓別到着後3日間の準備状況の報告です。快晴が続き、暑い(気温25度)ぐらいであること、しかし、山には雪が残っていて変な感じということが書かれています。

 「到着以来3日間快晴続きで 一寸暑い位なので意想外です。今日は夕立と雷、そしてつい先の山は白雪 豈た凡そ変な所(25度位)です。仕事は極めてよく進行し元気に居ります。乾板はテストの結果 オリエンタル イルフォールト イーストマンの順 イーストマンの赤外はカブリが強く混って居ます」昭和11年5月30日 北海道枝幸郡中頓別 日食観測隊 木辺生

 この後の便りは保管されていません。いよいよ、観測準備が佳境に入ったのでしょう。そしてついに、「セイテン ノゾミ タツセリ キベ」の電報が伊達氏に送られました。

(資料は全て伊達英太郎氏天文収集帖より)

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1968年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

2コメント

  • 1000 / 1000

  • double_cluster

    2020.09.13 22:19

    コメントをありがとうございます。木辺氏の30cm鏡は、この日食とは関係ない私事のようです。私用の鏡筒を改造する際、出入りの大工が誤って立てかけていた30cm鏡を倒しました。(日本アマチュア天文史の記述より)親しかった伊達氏に、恨み節を聞いてもらいたかったのでしょうね。当時の日食遠征は、1カ月ほど前には現地に到着し、準備に取り掛かかっていたようです。
  • manami.sh

    2020.09.13 13:08

    と゛ういう経路で、観測地に向かったのかは、非常に興味がありました。観測道具一式を、どうやって 運んだのか、とても不思議なのですが。(ばらしたり、組み立てたり。) 大工が出てくるのも、なぜ?という思いなのですが。 作業員という意味合いなのでしょうか。 木辺氏のハガキは、交通経路が分かり、また、スタンプも押してあり、刑事に捕まりそうになったという昔の話も挿入されていて、当時の様子も含めて興味深いです。 こういう記録が残っていると、話の幅が広がって、とても興味深く感じられ、とても良いです。 ありがとうございます。