1935年(昭和10)の火星スケッチ(6)

 今回ご紹介するのは、1933年(昭和8)11月、東亞天文協会に新設された遊星面課の初代課員の一人である、沓掛七二氏(長野県)の火星スケッチです。

 使用された機材は、中村要氏が研磨した有効径105mmのレンズを搭載した、西村製作所製屈折赤道儀です。伊達英太郎氏の写真のコメントには、「Nr.5」とあります。これは恐らく、NKOG(中村要氏が研磨したレンズの意)5に該当すると思われます。「中村要と反射望遠鏡」(冨田良雄・久保田淳,ウインかもがわ,2000)のP.223には「Nr.5」は記載されていません。manami.shさんのコメントへの返答に、「NKOG9 直径110mm 焦点距離1140mm レンズ構成achromaticに該当すると思われます。」と記載したのは誤りでした。謹んでお詫びいたします。

 以前ご紹介した「射場保昭氏の望遠鏡リスト(射場リスト)にも、「Naganoken.Mr H.Kutukake.4".Equatorial.Nishimura.Visual.」とありました。

 NKOGとして記録がないレンズですので、これは新発見かもしれません。

 2枚目の写真は、1933年に発行された西村製作所の10cm屈折赤道儀のカタログです。運転時計付きが1150円となっています。現在の貨幣価値に換算(1円→2000〜2500円)すると、230万円~287.5万円となるでしょうか。

 沓掛氏の10cm屈折望遠鏡は、通常のF15ではなく、高倍率を出しやすいF18の長焦点レンズです。

 1936年(昭和11)6月30日に発行された、東亞天文協会観測部遊星面課「回報」第壱号の沓掛七二氏の紹介です。

 「沓掛七二氏・・・遊星面課設置の熱心なる提案者だった氏は、等課新設されるや、直ちに入部、金,土,木星観測に従われ、昨年度(1935年)の火星にも活躍された。見取図が少し雑であるから、今後、今少しスケッチを美しく仕上げて頂きたい。器械は、中村氏製作の優秀なレンズである。(器械)有効口径100mm、自動式屈折赤道儀、西村製作所マウンティング、レンズは中村要先生、f=19という長いもの、遊星面には最適である。(倍率)320,210,150×、木,金,土,火星希望、右目使用」


(参考文献)

日本アマチュア天文史,日本アマチュア天文史編纂会編,恒星社厚生閣,1987

中村要と反射望遠鏡,冨田良雄・久保田淳,ウインかもがわ,2000

アーカイブ新聞,中桐正夫,国立天文台・天文情報センター,2013.10.27

CATALOGUE No.7,西村製作所,1933

遊星面課回報,東亞天文協会観測部遊星面課,1936-6-30

(遊星面課回報は伊達英太郎氏天文蒐集帖より、1枚目写真は伊達英太郎氏天文写真帖より、資料は全て伊達英太郎氏保管)

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

2コメント

  • 1000 / 1000

  • double_cluster

    2021.04.10 08:15

    いつも貴重なコメントをありがとうございます。サイトに書き込みをしようとすると、amebaへのログインが要求されます。この仕組みについては、私も以前から不満を持っています。ご迷惑ご不便をおかけして申し訳ありません。機会がありましたら、サイトの運営元に要望を出そうと思います。 ところで、リトロータイプについて教えていただき、ありがとうございます。「新版屈折望遠鏡光学入門」(吉田正太郎,誠文堂新光社,2005)を読み直しました。以前、花山天文台のクック社製30cm屈折望遠鏡レンズを、花山天文台博物館で見たことがあります。非常に肉薄のレンズでしたので、中村要氏も肉薄のリトロータイプを採用したことが十分考えられるように思います。Fも19や20に近いですし。 満州事変(1931)、五・一五事件(1932)、国際連盟からの脱退(1933)、二・二六事件(1936)、 日中戦争(1937)等々の時代の激変を思う時、火星観測に精力を傾けられた先達に対して畏敬の念を禁じ得ませんね。
  • manami.sh

    2021.04.10 02:24

    パソコンのOSの使用環境によるのでしょうか、いつも使用しているWindows8では コメントの書き込みが出来なくなりました。 そのため、1週遅れの書き込みになります。 沓掛氏の望遠鏡はF=18ということですが、もしかしてリトロー・タイプ? の可能性はいかがでしょうか。 自分のことは、ちょっとよせておいて、 課員のみなさんのスケッチを見ると、描き方に違いがありますし、どうなのかな と思うのもありますが、それはそれで、苦労しているなと、思います。 1935年のメンバーが、戦後も引き続き観測を続けたようではないのが、残念に思われます。