2021.05.03 02:461936年(昭和11)の土星スケッチ 1936年は火星接近の前年にあたり、残されていたのは土星スケッチのみです。今回ご紹介するのは、安武研二氏・伊達英太郎氏・小沢喜一氏の土星スケッチです。 最初は、安武研二氏の土星スケッチです。
2021.05.02 04:141936年(昭和11)の月・火星・土星スケッチ 渡辺恒夫氏による、1936年の月・火星・土星スケッチです。月のスケッチがとられたのは、月面のLTP(月の異常現象)を確認するためです。 この年の注目の天文現象は、土星環の消失でした。1回目は6月28〜29日頃、2回目は12月28〜29日頃に起こりました。
2021.05.01 06:241935年(昭和10)の土星スケッチ 1935年の惑星スケッチも、土星を残すのみとなりました。今回は、東亞天文協会遊星面課四天王のうち、前田治久氏・渡辺恒夫氏・伊達英太郎氏の土星スケッチをお送りします。
2021.04.29 07:111935年(昭和10)の木星スケッチ(1) 今回から、1935年の木星スケッチをお送りします。観測者は、渡辺(後の佐伯)恒夫氏と伊達英太郎氏です。1回目は、渡辺恒夫氏です。
2021.04.25 03:201935年(昭和10)の金星スケッチ(2) 今回は、小沢喜一氏(こざわきいち,1918-1949)の金星スケッチをご紹介します。小沢氏は、名古屋出身のSSCyg型変光星の熱心な観測者でした。1936年(昭和11)春に15cm木辺鏡、1938年(昭和13)6月に25.6cm木辺鏡を入手、自宅の屋根にドームを作りSSCyg型星の観測に精進しました。 小沢氏が活動した時期は戦時中でしたので、小沢氏の全ての記録資料も戦災により消失してしまったそうです。ただ一つ焼け残った25.6cm反射により、1947年(昭和22)秋に病臥するまで観測は続行されました。1949年(昭和24)4月23日逝去、享年31歳でした。 ここにご紹介する写真やスケッチは、戦災を免れた、小沢喜一氏の唯一の記録かもしれません。
2021.04.24 08:011935年(昭和10)の金星スケッチ(1) 東亞天文協会遊星面課が発足(1933年)して暫くは、金星・木星・土星の惑星面スケッチも行われました。今回は、渡辺(後の佐伯)恒夫氏の金星スケッチです。 金星表面の模様は極めて淡くデリケートです。その困難な対象を根気よく描写した渡辺恒夫氏は、とても鋭眼であったことが分かります。
2021.04.11 07:041935年(昭和10)の火星スケッチ(8) 今回は、伊達英太郎氏の火星スケッチをお目にかけます。意外なことに、伊達氏の1935年の火星スケッチは、3枚しか残っていません。代わりに、伊達氏の機材等の写真は豊富にありますので、スケッチと併せてご覧ください。
2021.04.10 10:181935年(昭和10)の火星スケッチ(7) 今回ご紹介するのは、当サイトで六甲星見䑓(だい)としても取り上げたことのある、萑部進氏・守子氏の火星スケッチです。六甲星見䑓の機材の変遷については、カテゴリ「六甲星見䑓」に詳しく書かせていただいていますので、どうぞご参照下さい。