1935年(昭和10)の火星スケッチ(7)

 今回ご紹介するのは、当サイトで六甲星見䑓(だい)としても取り上げたことのある、萑部進氏・守子氏の火星スケッチです。六甲星見䑓の機材の変遷については、カテゴリ「六甲星見䑓」に詳しく書かせていただいていますので、どうぞご参照下さい。

 今回のスケッチに使用された望遠鏡は、1934年(昭和9)12月に完成した、26.5cm反射望遠鏡(木辺鏡)と、同架されていた15cm(F15)屈折望遠鏡です。

 1枚目の写真は、1935年(昭和10)の東亞天文協会第15回総会晩餐会(於:大洋軒食堂)に出席した会員諸氏です。一段目右端に、萑部守子氏が写っています。

 ところで、六甲星見䑓について、神戸大学大学院人間発達環境学研究科教授 青木茂樹様から、貴重な研究紀要を見せていただくことができました。この場を借りまして、心から御礼申し上げます。

 青木教授によると、京都よりも天候が安定している神戸に、花山天文台を補完する施設を設置したいという山本一清氏の願いを受けて、六甲星見䑓が完成したとのことです。山本一清氏が所有していたカルバー46cm反射鏡よりも、1cm大きな口径のリンスコット47cm反射鏡が用意されていたことは、花山と同規模の機材を完備したいという山本一清氏の願いがあったのかと思われます。

参考文献:日本アマチュア天文史,日本アマチュア天文史編纂会,恒星社厚生閣,1987

     天界167号,東亜天文協会

     「六甲星見䑓」址を探して,青木茂樹,神戸大学大学院人間発達環境学研究科研究

     紀要,第14巻第2号,2021

    (1枚目写真は伊達英太郎氏天文写真帖より、資料は全て伊達英太郎氏保管)

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

3コメント

  • 1000 / 1000

  • double_cluster

    2021.04.11 04:18

    manami.sh様、青木様、コメントをいただきありがとうございます。伊達氏が残された貴重な資料をご紹介しながら、戦前海運業で隆盛し、神戸大空襲による壊滅的な被害を受けた、神戸の歴史を強く思います。日本初の海洋気象台設置費用や、クック25cm屈折望遠鏡(「クック物語」に書かせていただきました。)購入に際しても、大阪・神戸の海運業者の財力が利用されたようです。東京天文台や花山天文台以上の規模を誇りながら、戦後跡形もなく消えた射場観測所も、この時代の象徴の一つだと思います。海運業の隆盛と世界大恐慌等による衰退・神戸大空襲による壊滅的な被害。20~25年間の短期間のうちに神戸に起こった歴史。海運業者の萑部氏ご夫妻の歩みにも、大きな影響を与えたように思います。
  • aoki

    2021.04.11 03:08

    青木茂樹です。紀要記事をご紹介下さり、有難うございます。 崔部守子さんの写真を探していた際に、この第15回総会の写真も天界176号(1935,12)で発見したのですが、ここでの写真のような画質ではなかったので引用は見合わせました。 戦後、ご夫妻が東京に在住されていたことまでは確認できましたが、天文関係の活動の有無についてはわかりませんでした。望遠鏡が関東で売りに出ていたことが、ご夫妻が神戸から東京への転居後に望遠鏡を手放されたことを意味するのか否かも確認できておりません。ご長男のご存命中に間に合わなかったのが大変残念です。
  • manami.sh

    2021.04.11 00:18

    崔部守子様のスケッチは、罫線が入っていますし(貼り付けしてますし)、円はフリーハンド、気になります。青木様の研究報告は、白川様の「天界」での報告と併せると、戦後の崔部夫妻の状況がわかり興味深いです。でも、夫妻は観測は、やめたのでしょうか。天文への興味が、どうなったのでしょうか。そこまでの解明は現時点では無理でしょうが、気になります。 次回は、前田氏、木辺氏、伊達氏とスケッチ枚数が多い方々が残っていますが。 楽しみです。