1935年(昭和10)の火星スケッチ(9)

今回は、木辺成麿氏・高井博典氏・荒木九皐氏・福井実信氏です。

 これらのスケッチに用いられた、完成当初の木辺氏の31cm反射赤道儀です。

 滋賀県のダイニックアストロパーク天究館に修復保存されている、木辺氏の31cm反射赤道儀です。稼働はモーター式になっています。晩年に木辺成麿氏が寄贈されました。

 次は、高井博典氏の火星スケッチです。高井氏(京星会)と伊達氏は、とても親しい間柄でした。

 次は、荒木九皐氏(花山天文台)のスケッチです。

 このスケッチに観測者の記名はありませんでした。しかし、「日本アマチュア天文史」に「荒木九皐(京都市花山天文台,30.6cm屈折,スケッチ20枚)」(P.54)の記述がありましたので、荒木九皐氏としました。

 次は、福井実信氏(左から2人目)です。後年、東亜天文学会理事長として活躍されました。また、神戸青少年科学館にクック25cm屈折赤道儀を導入することにも尽力されました。

参考文献:日本アマチュア天文史,日本アマチュア天文史編纂会,恒星社厚生閣,1987

    (ダイニックアストロパーク天究館木辺氏望遠鏡以外の写真は、伊達英太郎氏天文

     写真帖より、資料は全て伊達英太郎氏保管)

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

2コメント

  • 1000 / 1000

  • double_cluster

    2021.04.18 07:44

    コメントをありがとうございます。1935年分の火星スケッチの中に、前田治久氏のものはありませんでした。僅かに土星スケッチが1枚残されているのみです。ところで、前田治久氏と前田静雄氏は同一人物なのでしょうか。伊達氏のアルバムでも、急に名前が変わっています。改名されたのでしょうか。ご存知でしたら、ご教示下さい。よろしくお願いします。
  • manami.sh

    2021.04.17 15:35

    木辺氏が言葉で火星面の状況を補足しているのは、当然として、高井氏が言葉で補足しているのには びっくりです。高井氏は、その後、どうされたのでしょうか。 後、1935年の火星スケッチで残っているのは、前田氏でしょうか。 この年の観測報告枚数の一番多いのが前田氏ですが。