1936年(昭和11)の土星スケッチ

 1936年は火星接近の前年にあたり、残されていたのは土星スケッチのみです。今回ご紹介するのは、安武研二氏・伊達英太郎氏・小沢喜一氏の土星スケッチです。

 最初は、安武研二氏の土星スケッチです。

 次は、伊達英太郎氏の土星スケッチです。

 前回ご紹介した遊星面課「回報」の中の、伊達氏の紹介記事(自己紹介?)です。

 「遊星面の観測は、3〜4年前からしていたが、昨年度(1935年)の火星接近から急に、火星、木星の観測に興味を有し、将来遊星面観測を専攻する予定。目下、木星、火星について調査中。本年末に16〜25cm級反射を製作の予定。今年から多忙なる木辺氏を助けて、遊星面課の仕事を引き受ける事になった。(器械)11cm酒巻氏(中村要氏修正)反射赤道儀(手動式)、有効口径114mm,f9,倍率250,170,115,80×、(希望星)木、火星、両眼共使用」

 伊達氏の機材は、経緯台から赤道儀に変わっています。几帳面な伊達氏らしく、赤道儀一式の見積書が残されていました。

 新装なった11cm反射赤道儀と観測中の伊達英太郎氏です。(於:雲雀ヶ丘観象台)

 次は、小沢喜一氏の土星スケッチです。

 小沢氏についての「回報」の紹介記事です。

 「昨年度(1935年)8cm反射で主として金星観測に従われた。今年度新しく15cm鏡を入手されたから、変光星同様御活動を期待す。(火、木、土星希望、右目)(器械)15cm木辺氏反射経緯台、有効口径155mm、f8、倍率185,145×」

 小沢喜一氏が使用した、15cm鏡の後日談を見つけました。「星の手帖’82冬,清水勝,河出書房新社,1982」より引用します。

 「『先輩からの木辺鏡でスタート 山田達雄(愛知県)』 私の中学の先輩で、変光星観測の師であった故小沢喜一兄から、1939年に譲り受けた木製四角筒6インチ木辺鏡を、戦後金子功氏によって赤道儀に改装していただき、同氏からメッキのために送ってもらったアストロ工学で、労働争議のためこれを紛失、その時小沢兄はすでに亡く、その形見をなくされた悲しみを慰めていただいたのが、古き変光星の友、故山﨑正光氏であった。氏から「あなたには惜愛がある。私が昔磨いた6インチがあるが、もらっていただけますか。」という手紙とともに"すいのう”(携帯用のズック製のバケツ?)に入れて送られてきた。このミラーは、星野次郎氏に整形をしていただいて、今なお使用している。」

(参考文献)

遊星面課回報,東亞天文協会観測部遊星面課,1936-6-30

星の手帖’82冬,清水勝,河出書房新社,1982,P.121

(遊星面課回報・見積書は伊達英太郎氏天文蒐集帖より、伊達氏と11cm反射赤道儀の写真は伊達英太郎氏天文写真帖より、スケッチは全て伊達英太郎氏保管)

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

2コメント

  • 1000 / 1000

  • double_cluster

    2021.05.03 05:28

    いつもコメントをいただき、ありがとうございます。たいへん励みになります。ところで、戦災で望遠鏡や観測機材が失われることも辛いですが、アストロ光学のように、信頼している業者に裏切られるというのは痛恨の極みですね。小沢氏や木辺氏の魂がこもっている鏡は、唯一無二ですから。それにしても、山﨑正光氏は凄い方です。
  • manami.sh

    2021.05.03 04:56

    『先輩からの木辺鏡でスタート 山田達雄(愛知県)』でアストロ光学の労働争議の件が記されていますが、アストロ光学の労働争議で影響を被ったという話は、これで二件目です。私が知っているのは、15センチ屈折赤道儀とそのドームを依頼していたがふいになってしまったという話。 結局、五藤光学研究所に依頼したとのこと。ただ、ひどいめにあったという話は、もう一件ありますが、内容不詳。アストロ光学の労働争議は、知っている人は知っていたのですねぇ。 何となく、アメーバーブログの使用方法もわかりましたので、いつものPC環境から投稿しています。