1937年(昭和12)の火星スケッチ(3)

 今回は、青木章氏、中村文造氏、津久井修氏の火星スケッチをお送りします。青木氏は、1942年(昭和17)に東亞天文協会遊星面課水・金星班班長になっています。

 次は、中村文造氏の火星スケッチです。

 最後は、津久井修氏です。

 左端が津久井氏です。

 上の写真は、1940年(昭和15)1月13日に伊達英太郎氏宅で行われた、天文研究会新年茶話会の様子です。

(参考文献)

日本アマチュア天文史,日本アマチュア天文史編纂会,恒星社厚生閣,1987,P.67,71

(写真は伊達英太郎氏天文写真帖より、資料は全て伊達英太郎氏保管)

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

2コメント

  • 1000 / 1000

  • double_cluster

    2021.05.09 00:34

    コメントをありがとうございます。この年のスケッチ用紙は、青木氏だけでなく、他の方も表紙を黒く塗っています。スケッチをしやすいようにするなどの工夫かもしれません。宮森氏ですが、残念ながら他に情報がございません。ところで、1920年の天文同好会の創設から1945年の終戦(実質的には、戦火が激しくなる1943年)までの25年間は、日本の天文学において、特筆すべき時代だったように強く感じています。
  • manami.sh

    2021.05.08 09:41

    青木氏の最初の画像は、丸く何かを塗りつぶしているようにも見えますが。スケッチ集の表紙でしょうか。今回の諸氏が、その後、どのようなスケッチをとっていくのでしょうか。特に青木氏については金星観測にも関わるようになるので、興味があります。 写真の宮森先生とは、"月面の宮森谷"の宮森氏でしょうか。昭和13年に入ると、戦火もますます拡大し 国家総動員法が発令されます。でも、日本の惑星(遊星)観測陣は、体制を整えてきた時期なんでしょうねぇ。