1937年の火星スケッチ2回目は、前田治久氏(後に静雄に改名、1914-1952)です。1936年(昭和11)6月30日に発行された、東亞天文協会観測部遊星面課「回報」第壱号の、前田治久氏の紹介記事から始めます。
「前田治久氏・・・昨年(1935年)の火星接近に凄い所を見せられ、10cmの威力を十二分に発揮された。将来は火星を専攻されると言うから、差し詰め、日本のピケリングと言う処。本年中に20cm反射を完成され、1937年度の火星接近に備えられる筈である。他の天体は観測する気がせぬそうだから、徹底的な火星狂である。」
前田氏の機材等についての記述はありません。
右端が前田治久氏です。
向かい側、左から3人目が前田氏です。
残念ながら、1937年の前田氏の火星スケッチは残されていませんでした。しかし、このような記事を見つけました。
この時前田氏が使用した、20cm反射望遠鏡についての後日談です。
佐伯恒夫氏が前田氏の熱意や機材を受け継いで、生涯、火星観測を続けられた事に一層感慨を深めました。
(参考文献)
遊星面課回報,東亞天文協会観測部遊星面課,1936-6-30
星の手帖’84春,清水勝,河出書房新社,1984,P.2
星の手帖’82春,清水勝,河出書房新社,1982,P.120
(1~4枚目の写真は伊達英太郎氏天文写真帖より、遊星面課回報は伊達英太郎氏天文蒐集帖より、前田氏のハガキは全て伊達英太郎氏保管)
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2021.05.05 08:35
2021.05.05 06:47