1939年(昭和14)の火星スケッチ(8)

 今回で、1939年の火星スケッチのご紹介を終えます。初めは、Nakahira氏です。

 次は、松本義一氏です。松本氏は、1933年に東亞天文協会遊星面課が設けられた頃からの主要メンバーの一人です。

 次は渡辺氏です。この方は、渡辺恒夫氏ではないようです。

 次は、三宅和夫氏です。

 最後は、東亞天文協会遊星面課(水・金星班長)だった青木章氏です。

(参考文献)

日本アマチュア天文史,日本アマチュア天文史編纂会,恒星社厚生閣,1987

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

3コメント

  • 1000 / 1000

  • manami.sh

    2021.07.23 09:32

    ありがとうございます。蔡章献、頼武揚両氏が使用した臺北市公会堂の10cm屈折赤道儀は五藤光学研究所製だったと思います。1941年も楽しみにしております。ほんとうに暑い日が続きますねぇ。昨年から 気候の変動が顕著になったように感じます。
  • double_cluster

    2021.07.22 23:32

    毎日暑いですが、お変わりありませんか。どうぞ、ご自愛なさって下さい。いつもコメントをありがとうございます。伊達氏の許に残された火星スケッチは、1941年で最終になります。スケッチ数が多かった方を順にご紹介します。綿貫博通氏、瀧田正俊氏、蔡章献氏、頼武揚氏、中野繁氏、冨田弘一郎氏等です。記名はありませんが、木辺氏と思われるスケッチもあります。どうぞご期待ください。
  • manami.sh

    2021.07.22 21:55

    1939年の火星観測については、伊達英太郎氏が1940年の「天界」に5回にわたって報告していますので 改めて読んでみました。渡辺、前田の両氏が、出征で不在だったのは、ご本人にも後世の方々にも残念 なことだったと思います。色彩スケッチが増えたのは、1937年の前田氏の影響が大きかったことが上げられいます。本家の前田氏の色彩観測、見たかったです。両氏とも、このときの出征から戻られたので、 それはそれで、次の観測につながっていくので良いのですが。