1941年(昭和16)の火星スケッチ(8)

 今回は、中野繁氏(1918-2011)の火星スケッチをお送りします。

 東星会の中心メンバーだった中野氏は、1943年(昭和18)9月、軍医として出征しました。主要メンバーが次々と抜ける中、東星会は事実上活動を休止し、会報「東星」は、1943年(昭和18)9月に、7,8合併号をもって終刊しました。

 4~6枚目のスケッチは、服部博氏の20cm反射望遠鏡を使って描かれました。

 下の写真は、1942年(昭和17)年頃の中野繁氏です。

 上の2枚の写真は、中野繁氏が1941年(昭和16)の火星スケッチを描いた際に使用した、服部博氏の反射赤道儀です。

 服部博氏は、中野繁氏が出征した翌年の1944年(昭和19)に病没し、残された機材は東京・麻布の東大に引き取られましたが、1945年(昭和20)5月25日の空襲で焼失しました。

(参考文献)

東星第3号 昭和17年(その2),いるか書房別館,2021.8.5閲覧

(写真・資料は伊達英太郎氏保管)


中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

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