無メッキ反射鏡による太陽写真(2)

 これは、伊達英太郎氏の「月写真撮影装置」です。ここにも、ソーントンシャッターが使われています。乾板は、京津赤札乾板を使用していました。

 伊達氏が1934年(昭和9)に撮影した太陽黒点の写真です。1938年に撮影された写真と比べると、明らかに解像度が落ちます。

 1938年(昭和13)に撮影された太陽写真です。アルバムのイラストも伊達氏作です。

「小反射望遠鏡による太陽写真」 伊達英太郎 1938年(昭和13)5月6日

 2.望遠鏡及び撮影装置

 器械は普通眼視観測に用いる通常の反射望遠鏡で良く、赤道儀にマウンツしてあれば尚更好都合(後文参照)凹鏡の銀を去り、斜鏡は銀引きすることは上述の通り、尚斜鏡は出来れば眼視用に比し、梢大きい直径の物なれば充分視野をカバー出来るから、口径の1/5では梢小さく、1/4.5あれば良い。そして光軸修正は特に入念にしておくこと。

 第1図の如く(表紙写真参照)反射鏡の接眼筒部は出来るだけ頑丈な物を用い、かつ筒(イ)への取り付けはネジ2点の物ではグラグラして不可、必ず4点で止める型式の物を使用する方が筒へ固定して良い。それからスリーブの抜き差しは、溝を切って回転させて抜き差しする型式のものは太陽写真には絶対不可。必ずラックピニオンによる微動筒(ロ)が良く、可及的スムースに、硬くなく緩くなくガタつかずに微動出来るものが良い。筆者も今回今迄の回転抜き差し式で2点ネジのものを取り去って、4点ネジ、ラックピニオン微動のものを新しく取り替えました。

 シャッター(ヘ)はカメラより外し、レンズを外してこの両端のネジに合わせて、アイピース筒端及び写真器(チ)前端にそれぞれネジを切って、シャッターを取り付けます。

 ただしこのネジだけでは何分カメラが随分重いので、写真にあるように、アイピース筒の所に金具(ハ)をネジで固定し、これに真鍮棒を2本(ニ)これもネジで固定し、これにカメラを付けた支持金具(ホ)を摺動するようにし、ラック・ピニオンにより微動させてピントを合わせます。

 カメラ内部は挿画第2図の如き構造で、アイピースは出来るだけ球面収差を防ぐため、ケルナー式を用いるのが良く、筆者は日本光学製ケルナー式18mmアイピースを用い、手札型乾板に70mmの直径の太陽像が出来るようアイピースと乾板面の距離を加減しました。尚、このカメラは筒に対し直角に、言い換えれば光軸に対し、可及的並行する様取り付ける事が肝要で、甚く歪んでいると像にも歪みを呈します。取枠ホルダー(リ)及び(D)は、木製でも良いわけですが、筆者のは金属製で、なにぶん太陽直射下で取枠の引き蓋を抜き差しするのですから、出来るだけ緻密に作ることを要します。また、取り枠の引き蓋抜き差し口は光線の漏入を防ぐため、筒口と反対の方に来る様取り付けます。カメラの形は円錐形がよく、内面に黒の艶消しエナメルを塗る。正方形や円筒形にすると、内面反射により乾板面にカブリを生じる恐れがあるようです。

 ピントグラスは別に作ってもよろしいが、取り枠を1枚ピントグラスに改装する方が、簡単でしかも最良の方法です。即ち取り枠の裏側を金切鋏で窓を開け、取り枠には細かく磨いた磨りガラスをはめ、裏面から焦点眼鏡で焦点面を見れば良いわけです。磨りガラスは申すまでもなく、磨った面を前方に向けてはめ込むこと。

(写真・資料は伊達英太郎氏保管)

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

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