伊達氏の雲雀ヶ丘観測台(ここでは観象台となっています)の写真スケッチです。縦横各4cmの写真が、11枚貼られています。天体写真の先輩である、清水真一氏の知新観象台に習って、雲雀ヶ丘観象台と名付けたのでしょう。
1937年(昭和12)、伊達氏が導入した26cm反射赤道儀(木辺鏡)です。接眼レンズは、Or4mm(520倍)、Or6mm(340倍)、MH7mm(290倍)、MH9mm(230倍)、K12.5mm(166倍)、K 18mm(115倍)、K25mm(80倍)が備えられていました。
1940年(昭和15)に、伊達氏が主鏡のアルミメッキを依頼した際の領収書です。服部博氏の主鏡も、伊達氏が発注したのでしょうか。アマチュアとして先駆的な存在であった伊達氏は、アルミメッキ鏡も早期に導入したのでしょう。
小反射望遠鏡による太陽写真 伊達英太郎 1938年(昭和13)5月6日
9.赤道儀と経緯台
無論、費用を厭わず据付場所さえあれば運転時計付きの赤道儀に越したことはありません。時計が付いていれば、ファインダーで太陽を見続け、手はシャッターレリーズを握り、気流の収まった一瞬を狙って露出を与え得られますから、特に良い像の出来る可能性が多いが、手動赤道儀式や経緯台となると、片手或いは両手を器械の運転に使用しなければならないから、太陽がファインダーの適当な所へ来れば、少々気流が悪くても仕方がなくシャッターを切らねばならぬ様なことを敢えてやらねばならず、到底時計付き赤道儀の様な便利な真似は出来ない。相手が光輝の強すぎる太陽のことだから、長時間の露出を要さず、ごく一瞬の露出で足るから経緯台でも撮影が可能というだけのことで、赤道儀の便利さには遥かに及ばない。
今一つ、赤道儀の長所は、太陽像の南北半球を決定するための東西線を求めるのが至極簡単なことで、即ち筒に対して、取り枠ホルダーを一定の傾きに固定しておけば、筒を回転させない限り、東西線が常に定まっているから原板乾燥後ナイフの如きもので膜面に東西線を入れ、これを基として、天文年鑑の「太陽面上の経緯度」の数値、或いは花山天文台発行の「甲種太陽経緯線図」に依り、正しい赤道を決定します。(清水氏の方法)経緯台では刻々に太陽像の傾きが変わっていく為、東西線が出しにくく、従って正しい南北半球を決定しにくい欠点がある。筆者は眼視観測のスケッチを見て、赤道を入れるようにしている。ただ単に太陽全面或いは一部分を写真に撮って残しておくのには経緯台でも差し支えないが、黒点の経緯度を出す目的には適しない。筆者もこの点で現在の経緯台では、振動の多いことと共に困り抜いているから、近いうちに赤道儀に変える予定をしている。
10.ファインダー
ファインダーは、主鏡に最初から付せられている主鏡の口径の1/4位のものでも大した支障はないが(特に時計の付いた赤道儀では)、経緯台だと太陽を出来るだけ乾板面の中央に入れる必要上、ファインダーは相当大きい倍率を必要とするので、筆者は36mm色消しレンズ(f14)のファインダーを、12.5mmアイピースを用いて40×にして使用しているが、これで常に略略乾板面の中央に太陽を写し込むことに成功している。倍率は20~40×位が最適だろう。
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以上で筆者が目下撮影実行しつつある方法を可成り詳細に記したつもりでありますが、なにぶん未だ日も浅く未知不当の点も多く、纏まりませんが、いずれ約1年実験した上、今一つ突っ込んだ点を発表させていただくつもりであります。貴重な誌面を愚文に費やしたことをお詫びすると共に、拙文によって太陽写真に進まれる方の一人も多からんことを希望して一先ず擱筆いたします。尚記事中不明の点は筆者宛ご照会下さい。(2598.5.6)
(写真・資料は伊達英太郎氏保管)
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