草場 修氏(1)

 長い間心に引っかかっていた、草場修氏のことを取り上げたいと思います。内容を膨らませてから掲載したいと思っていましたが、天文古玩さんがご自身のブログに、草場修氏についての詳細をお書きになっていますので、そちらをご覧いただくのが最善だと思い今回ご紹介することにしました。

 草場修氏(1898?-1948)は、大阪で昼間は日雇い労働、そして仕事を終えると図書館に通い、5年かけて独力で星図を完成させた方です。その業績を山本一清氏が認め、花山天文台に招き入れました。上の写真は、1936年(昭和11)、満願寺・最明寺滝ハイキングで撮られた写真です。左端が草場修氏、右から2人目が伊達英太郎氏です。

 左端が草場修氏。

 中央が草場修氏。

 観測者は伊達英太郎氏、撮影は草場修氏です。


 草場修氏は、山本一清氏が京都帝国大学を退官(1938)した後、山本一清氏が創設した瀬戸黄道光観測所に職を得、そこに居住し研究を重ねました。(1938年10月3日着任)

 上の「瀬戸黄道光観測所 回報」には、草場修氏の伊達氏に宛てた手書きの文字が見られます。

 伊達英太郎氏の記録以外に、当時の草場修氏の写真は残されていないと思います。

 天文古玩さんが紹介されていた、当時の新聞記者のインタビューに対する草場氏の答えに心が震えました。草場氏は、耳がほとんど聞こえませんでした。

-「大空の星があなたの無二の友だちですか?」-

-『そうです、私の友だちは、いつも大空に輝いています。』

(写真は全て伊達英太郎氏天文写真帖、資料は伊達英太郎氏天文蒐集帖より)

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

3コメント

  • 1000 / 1000

  • double_cluster

    2022.02.19 07:59

    manami.sh様 返信が遅くなり、申し訳ありませんでした。まず、ハイキングですが、「大阪天文研究会・大阪支部合同ハイキング」だったようです。(東亞天文協会 大阪支部報 昭和11年5月1日 第7号第1ページより) 1.集合日時・場所 1936年(昭和11)5月3日(日)9時までに 1.コース(約4Km)梅田阪急前→花屋敷(雲雀ヶ丘花屋敷?)→石切山→満願寺→新花屋敷遊園地→最明寺滝→加茂桃林→伊達観測所 1.天文座談会・天体観望会 伊達観測所にて 1.費用48銭 1.昼食持参 (東亞天文協会 大阪支部事務所 西森菊雄方) また、「大阪支部速報(1936年4月13日)ハガキ」に 東亞天文協会本部・京都支部・大阪支部・京星会・大阪天文研究会 第3回合同ハイキング 一般歓迎 1.集合日時・場所 4月19日(日)9時まで 天六新京阪前 1.行程 冨田町下車→京大阿武山地震観測所見学→霊?仙寺→摂津耶馬溪→北山?→高槻町下車    徒歩約8Km 1.費用 60銭 1.昼食持参 1.当日雨天なれば26日(日)延期 の案内がありました。この時の写真が、伊達氏天文写真帖に残っていました。後日、掲載したいと思います。(残念ながら「天界」181号が手許にありませんので確認できませんが、菊森氏が撮影した集合写真だと思われます。) 「天界」219号、222号の「瀬戸だより」読みました。簡潔な文章で、草場氏の高い教養を感じました。「ウグイスの鳴き声が聞こえぬ」というところに、草場氏の聴覚障害を思いました。草場氏は、高い知性の持ち主だったようです。 西森氏、坂井氏については、また宿題にさせてください。
  • double_cluster

    2022.02.14 22:19

    詳細なコメントをありがとうございます。お尋ねの件について、伊達氏の資料や天界等を調べてみますので、少しお時間をいただけますでしょうか。 ところで、西森氏と伊達氏はとても親しい関係だったようです。天文同好会大阪支部の後任を、伊達氏は西森氏に依頼しています。
  • manami.sh

    2022.02.14 12:15

    草場修氏については、調べたことがなかったのですが、伊達氏と関係があるならばと、 この機会にちょっと調べてみました。 天文古玩さまのところのコメントにはSUさまが「天界」掲載記事をたくさん貼っています。 西森氏の記事については、触れていませんが、既にご覧になっていますか。 今回掲載していただいた写真ですが、1936年4月19日の第3回春季合同ハイキングと関係 がありますか?「天界」181号に西森菊雄氏のハイキングの記事があり、伊達、西森、 草場、坂井の各氏も参加しています。「表紙ほか」に集合写真も載っています。 私は関西の地理には疎いので、関連性があれば、教えていただければうれしいです。 その他に、草場修氏の記事と思われるものに「瀬戸だより」があります。瀬戸村の黄道光 観測所です。「天界」219号及び222号の「各地のたより」にあります。S.K生と記 していますが、修 Shyu 草場Kusabaだと考えます。O.Sでもよかったのでしょうが。 また、山本一清氏は黄道光観測所について次のように記しています。 In October 1939 Mr.Minoru Honda returned from the military service and has resumed his work in the Observatry.( During his absense Messrs.Huzino,Okamoto and Ksaba partly kept the office.) Bericht uber Japanische Sternwarten,Astronomische Nachrichten ,volume 271,Issue 6 p290 S.K生は草場氏と考えていいと思います。 写真を見て最初に気になったのが、西森菊雄(紀久雄)氏や坂井弘氏が、その後、どうされたのかです。 西森氏については、その後も役員として名前が挙がってはいますが。戦後はどされていたのでしょう。