1934年(昭和9)、伊達観測所を訪れた西村新一郎氏(28歳頃)です。
1933年(昭和8)の西村製作所の年賀状(伊達氏宛て)には、西村治三郎氏共に、新一郎氏の名前があります。
「京星No.2」(1935年3月号、京星会発行)に会員素抄というコーナーがあり、西村繁次郎氏、新一郎氏兄弟が紹介されています。
西村繁次郎(26歳)・・・星とレンズに日を送る幸福者、器械製作の関係で花山天文台にはよく行かれ、天文関係の書籍は和文・英文を問わず沢山所有し、地方の天文関係の会にも関係していられる。天体観測の実際に就て豊富な蘊蓄(うんちく)を持たれ、以前流星・太陽・彗星・天体写真を一通りやられ、現在は10cm反射で変星(変光星)を観測していられる。学会天文台のことに詳しく、天文ニュースの発信所である。けだし京星会の第一人者。O,A,A会員
西村新一郎(29歳)・・・繁次郎氏の令兄、円満円滑の尊敬すべき方。若い者が多く無理な突進をしたがる京星会の元老格として影からよく指導して戴いている。大正時代から天文に入られ、所有鏡としては13cmが書かれているが、観測としてはあまりやっていられない。
京星会では、西村新一郎氏が会長、繁次郎氏が幹事長でした。
株式会社西村製作所の設立は、1963年(昭和38)でした。取締役には西村繁次郎氏が就任しました。京星会の資料によると、西村新一郎氏は1906年頃、繁次郎氏は1909年頃の生まれになります。新一郎氏のその後が気になります。
(参考文献)
京星No.2,京星会,1935.3
(資料は伊達英太郎氏天文蒐集帖3、写真は伊達英太郎氏天文写真帖より)
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