2023.02.26 08:14ミヤニ式反射望遠写真鏡 日中戦争(1937-1945)開戦後、西村製作所は軍需産業の開発・製造にシフトしていきました。カセグレイン式反射光学系写真鏡として開発されたのが、ミヤニ式反射望遠写真鏡です。鏡径は8~10cmでした。元京都大学花山天文台職員の宮沢堂氏と西村製作所が協力して完成させたので、[宮沢西村]式、つまり[ミヤニ]式となった訳です。レンズ材不足を補うために、ガラス1枚で製作可能な反射鏡に注目が集まったのでしょう。
2022.05.18 05:29J.NISHIMURA & SONS. KYOTO 1933年(昭和8)頃の西村製作所カタログ表紙です。先日、manami.sh様から頂いたコメントにもあった、◯&SONS.が使われているカタログです。KYOTOも記入されていますので、T.COOKE & SONS.LTD LONDON&YORKに倣ったのではないかと想像します。西村製作所の「クック社のような一流望遠鏡製作会社を目指す」、そんな意気込みを感じます。
2020.07.24 11:38中村要氏製作25cmF3.8反射望遠鏡 中村要氏は、1930年(昭和5)暮れ、生涯最大口径になった25cmF3.8(口径248mm焦点距離947mm)反射鏡を製作しています。これは、以前にもご紹介した、花山天文台の柴田淑次氏の依頼によるものです。ちなみに、柴田淑次氏は、1956年(昭和31)6月5日〜1960年(昭和35)3月20日にかけて、神戸海洋気象台の台長でした。神戸海洋気象台にあった、クック25cm屈折望遠鏡のすぐ近くにおられたことになります。 木辺氏によると、中村氏は製作に難渋し、3回やり直して仕上げたそうです。この鏡面はマウンティングと共に、後年大阪市立電気科学館へ売却され、カセニュートンタイプに改作されました。副鏡は木辺氏が作製しました。その際、木辺氏は詳しく鏡面をテストされ...
2018.05.14 07:43西村製作所の創業 京都にある望遠鏡製造メーカー、西村製作所の創業は、1926年(大正15)です。西村製作所は、京都帝国大学近くで操業していた、理化学機器製造工場でした。その工場に中村要氏が自ら研磨した鏡を持ち込み、鏡筒と架台の製作を依頼したのが、望遠鏡製造メーカーとしての始まりです。中村要氏22歳、西村新一郎氏20歳、西村繁次郎氏17歳の時でした。独特なネコ脚の三脚や経緯台の設計も、中村要氏によるものです。組み立てが完了した望遠鏡は、京都帝国大学宇宙物理学教室屋上に運ばれ、中村要氏が最終チェックを行い出荷されました。屋上で撮影された反射望遠鏡の写真も、中村要氏によるものです。中村要氏は、望遠鏡製造メーカー西村製作所の創業に大きく関わった存在でした。(1930年発行の西...