天文同好会が東亞天文協会と名称変更したのは、1932年(昭和7)10月15日でした。
これは、伊達英太郎氏の、1933年(昭和8)度の東亞天文協会会員証です。倉敷天文台への出入りにも、この会員証が必要だったことが分かります。会費4円20銭は、現在の1万円ぐらいでしょうか。決して安価ではありませんね。
(資料は伊達英太郎氏天文蒐集帖3より)
天文同好会が東亞天文協会と名称変更したのは、1932年(昭和7)10月15日でした。
これは、伊達英太郎氏の、1933年(昭和8)度の東亞天文協会会員証です。倉敷天文台への出入りにも、この会員証が必要だったことが分かります。会費4円20銭は、現在の1万円ぐらいでしょうか。決して安価ではありませんね。
(資料は伊達英太郎氏天文蒐集帖3より)
中村鏡とクック25cm望遠鏡
2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。
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