東亞天文協会(O.A.A,1932年に天文同好会から改称)太陽課(幹事山本英子氏・山本一清氏夫人)から、太陽観測者に送られた観測に関する依頼状です。恐らく、伊達英太郎氏の筆によるものと思われます。当時の通信手段の最速であった、電報を用いた画期的な通信方法の説明です。
東亞天文協会(O.A.A)太陽課は、この頃から、毎月会員個人別の毎日の黒点数などの詳細な報告を出しています。
1932年(昭和7)、伊達英太郎氏は若干20歳。結核療養のために、雲雀ヶ丘に転地療養したのもこの年の暮れでした。
(参考文献)
日本アマチュア天文史,日本アマチュア天文史編纂会,恒星社厚生閣,1987
(資料は伊達英太郎氏天文蒐集帖3より)
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