2022.05.04 05:40天文同好会→東亞天文協会 天文同好会が東亞天文協会と名称変更したのは、1932年(昭和7)10月15日でした。 これは、伊達英太郎氏の、1933年(昭和8)度の東亞天文協会会員証です。倉敷天文台への出入りにも、この会員証が必要だったことが分かります。会費4円20銭は、現在の1万円ぐらいでしょうか。決して安価ではありませんね。(資料は伊達英太郎氏天文蒐集帖3より)
2022.04.15 09:39花山天文台急報 東亞天文協会(O.A.A,1932年に天文同好会から改称)太陽課(幹事山本英子氏・山本一清氏夫人)から、太陽観測者に送られた観測に関する依頼状です。恐らく、伊達英太郎氏の筆によるものと思われます。当時の通信手段の最速であった、電報を用いた画期的な通信方法の説明です。 東亞天文協会(O.A.A)太陽課は、この頃から、毎月会員個人別の毎日の黒点数などの詳細な報告を出しています。 1932年(昭和7)、伊達英太郎氏は若干20歳。結核療養のために、雲雀ヶ丘に転地療養したのもこの年の暮れでした。(参考文献)日本アマチュア天文史,日本アマチュア天文史編纂会,恒星社厚生閣,1987(資料は伊達英太郎氏天文蒐集帖3より)
2020.04.24 22:15花山天文台の46cmカルバー鏡 この文章は、天文研究会・天文同好会大阪南支部(伊達英太郎氏主催)の会報「THE MILKY WAY(1)」(3枚目写真、1932年[昭和7]4月20日発行)に掲載されたものです。伊達英太郎氏が、同会の顧問であった中村要氏に、執筆を依頼したものだと思われます。 中村要氏が亡くなるのが、同年の9月24日ですから、最晩年の貴重な文章です。「花山天文台の46cmカルバー鏡」 花山天文台 中村 要 この反射望遠鏡は、現在花山に据え付けられているが、実は山本博士の私有物なのである。製...
2018.03.11 10:24花山天文台 2017夏・京の旅で、中村要氏が最も愛した花山(かさん)天文台に行きました。花山天文台は、私が中学生の時に訪れて以来、40数年ぶりの訪問です。その当時、天文台の構内は雑草が生い茂り、下界とは違う趣があったことを覚えています。今回は、中村要氏が製作した15cm反射望遠鏡を入手したこともあり、感慨もひとしおでした。45cm望遠鏡(3枚目の写真)ドーム内で、ガイドの男性に中村要氏のミラーのことを伝えることができました。その方はたいそう驚き、鳥肌が立つとおっしゃっていました。無理をお願いして、中村要氏の光学工場になっていた、地下の研究室を見せていただきました。今は図書室になっており、当時の面影はありません。この場所で、中村要氏が反射鏡を研磨しておられたんだ...