度盛環の使い方

 1933年(昭和8)に、伊達英太郎氏から尋ねられた、度盛環(どもりかん?)の使い方に関する木辺氏からの返信です。度盛環は、現在では目盛環と言われています。

 当時、木辺氏は花山天文台の研究員でした。この内容は、クック30cm屈折赤道儀を念頭に書かれたものではないかと思います。太陽を基準にして、金星を導入する方法が書かれており、たいへん興味深いものがあります。

 木辺氏の手紙を見ていると、間違いによる文字の塗りつぶしが結構目立ちます。後年の反射鏡研磨の達人とは違う一面が窺え、これも興味深いところです。

(資料は伊達英太郎氏天文蒐集帖3より)

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

2コメント

  • 1000 / 1000

  • double_cluster

    2022.05.19 11:41

    コメントをありがとうございます。クック望遠鏡の目盛環を調べたことをきっかけに、もう一度目盛環の使い方を復習しています。星の赤経・赤緯表示についてもそうです。勉強不足を痛感します。 星食は明るさの対比が大きいので、コンデジ撮影では難しい天体現象ですよね。 ところで、伊達氏は17歳の頃から同好会を作って会誌を発行していました。1929年(昭和4)3月「大阪少年科学同好会」、1932年(昭和7)1月「天文研究会 天文同好会大阪南支部」会誌ミルキーウェイ、1941年(昭和16)4月少年天文同好会(本部:大阪電気科学館)など。全貌はまだ掴めていません。「日本アマチュア天文史」にも伊達氏の同好会に関する記事がありますが、誤りもあるように思います。伊達氏は戦後「テレスコープクラブ」も主催したようです。このクラブと関連するかもしれない資料が出てきましたので、またご紹介しようと思います。
  • manami.sh

    2022.05.18 21:31

    こちらも興味深いです。私も金星導入には太陽から目盛環で入れていましたので、妙に親近感を覚えます。〇&SONS.、ありがとうございます。そちらに書き込んであります。コンデジ撮影、なかなかシーイングにめぐまれず思うように撮れない日が続いています。先日のてんびん座α(2.8等)の星食ですが、忘れていて気が付いたら月から少し離れていました。ほぼ満月で明るすぎて、コンデジ撮影は無理でした。 下保茂氏がある文書の中で、「子供の科学」昭和四年に伊達氏の少年天文研究会の紹介記事が掲載されていて、それを見て自身が加入した旨を述べていました。時間ができれば、昭和四年のものを調べてみたいと思っていますが、ご存知でしょうか。