アマチュア・テレスコープクラブ

 アマチュア・テレスコープクラブは、望遠鏡の作り方をいろいろ工夫しようと、1947年(昭和22)に発足された単科学会(会長伊達英太郎氏、会誌「The STAR GAZING」)です。伊達氏が逝去されたのが1953年(昭和28)ですから、伊達氏は晩年まで、天文や望遠鏡に情熱を傾け続けたことが分かります。

 戦後の一時期、レンズ類が安く放出され、割合自由に入手できました。そのことがこの会の発足を後押ししました。

 原 恵氏のパロマー型望遠鏡、村山定男氏のシーソー型反射望遠鏡、海老沢嗣郎氏の木製多角筒望遠鏡、本田実氏の自作ドーム、矢崎譲一氏の16cmコメットシーカーなど独特な自作望遠鏡が発表されました。

 これは、原 恵氏から伊達英太郎氏宛のハガキ(1949年[昭和24]8月11日消印)です。

 A.T.Cは、Amateur Telescope Clubの略です。村山氏は村山定男氏のことですね。

 原 恵氏(1927-)は、青山学院大学英米文学科卒業後、アメリカに留学。オハイオ州立大学大学院にて、M.A.(教育学)を取得、青山学院大学経済学部教授、東京神学大学講師を歴任しました。専門は宗教文学。日本における讃美歌の歴史とその背景を研究し業績を挙げました。青山学院中等部の頃からの熱心な変光星観測者で、五島プラネタリウム創立以来の学芸委員としても活躍しました。野尻抱影氏の跡を継ぎ、星座と星座神話の研究の第一人者でもありました。

 晩年の伊達英太郎氏と愛機26cm反射赤道儀です。医師の許可を得て、観測に励んだようです。

(参考文献)

日本アマチュア天文史,日本アマチュア天文史編纂会,恒星社厚生閣,1987

(資料は伊達英太郎氏天文蒐集帖、写真は伊達英太郎氏保管乾板写真より)

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

4コメント

  • 1000 / 1000

  • double_cluster

    2022.05.24 11:58

    詳細な情報をありがとうございました。たいへん勉強になりました。ユニトロンは海外で今でも人気で、たくさんのコレクターがいるようですね。私も一度は覗いてみたいです。ユニトロンもそうですが、1970年代全盛を極めていた望遠鏡メーカーが軒並み倒れてしまったこと、残念でなりません。
  • manami.sh

    2022.05.23 13:27

    ユニトロンの件ですが、ユニトロン社自体は米国なので、日本サイドからというか日本精光研究所について、少しばかり記させていただきます。日本精光研究所は、小林栄道(こばやしえいどう)氏により1944年に設立されました。1948年に有限会社から株式会社に変更し、1949年には顕微鏡、天体望遠鏡(ニッポン顕微鏡、ニッポン望遠鏡)を製造しています。1950年には光学精機工業会顕微鏡部会(日本精光研究所、日本光学工業(株)、オリンパス光学工業(株)等9社)の会員会社です。小林栄道氏は、光学については独学で勉強されたそうです。対物レンズ、小物のレンズは自社研磨です。1950年代は、双眼鏡向けのレンズ研磨業者でもありました。1951年春以降、日本精光研究所の天体望遠鏡「ポラレックス号」は、米国に輸出され、米国ユニトロン社がSky & Telescope誌等に広告を掲載し、一手に販売をおこなったため、ユニトロン望遠鏡として広く知られることになりました。日本精光研究所は米国ユニトロン社と専売契約を結んでいました。日本国内においては、小林栄道氏がUNITRONとPOLAREXの商標登録を1960年代に至ってようやく行っています。なお、米国ユニトロン社が米国において商標登録したUNITRONとは字体が違います。ユニトロンのターレットレボルバーは、小林栄道氏の考案です。Z型の屈折望遠鏡も、小林栄道氏の考案です。かって五藤光学研究所は世田谷区新町にありましたが、日本精光研究所とは徒歩で30分もかかりません。日本精光研究所の製品は、国内でも 思いの他に残っているように感じます。最盛期には、従業員は30数名いたようです。また、監査役として景山光三氏という方がおられましたが、この方は旭光学工業(株)が合資会社だった頃、昭和10年代、工場長だった方です。戦後、カールツァイス(日本国内にあった)の光学技術部長、東京顕微鏡学院講師を務めた方で、小林氏はこの方に光学関係で師事されたのではないかと私は推測しています。 日本精光研究所は、円高や雇用の将来性を考え廃業されたそうです。ざっと駆け足で、まとめてみました。こんな感じです。
  • double_cluster

    2022.05.23 08:21

    コメントをありがとうございます。伊達氏の影響を受けたアマチュア天文家(下保氏のようなプロも含めて)は、とても多いです。本田実氏もそうです。中村要氏や伊達英太郎氏の業績を、再評価する必要を強く感じます。そのためにも、伊達氏の資料の公開にこれからも励もうと思います。ユニトロンの製品には、以前から興味がありました。ユニトロンについて、ぜひお教えください。宜しくお願いします。