「SHIROGANE」号の変遷

 伊達英太郎氏の最初の望遠鏡は、11.5cm反射経緯台(酒巻菊治氏研磨・中村要氏修正研磨)でした。中学生頃と思われる伊達氏です。手に星座早見を持ち、三脚前には月面写真の解説本を開いています。右側は雨の海の東部(南北が現代とは逆)、左側はコペルニクスクレーター周辺です。

 木製筒や三脚は、職人の作品のようです。架台は西村製作所製?

 円筒形金属鏡筒に変わっています。鏡筒部は、恐らく西村製作所製でしょう。

 同時期に、太陽観測用の小型屈折赤道儀を使用していました。鏡筒の形状から、五藤光学の36mm色消しレンズ屈折望遠鏡「ダイアナ號」ではないかと思います。

 1934年(昭和9)10月11日に撮影された、「SHIROGANE」号と雲雀丘観測台です。「SHIROGANE」号は、15cm反射望遠鏡用赤道儀(西村製作所製)に搭載されています。

 「火星とその観測」(佐伯恒夫著、P.83)にも掲載された、観測中の伊達英太郎氏と「SHIROGANE」号です。撮影されたのは、1935年(昭和10)3月23日です。

(参考文献)

火星とその観測,佐伯恒夫,恒星社厚生閣,1968

(写真乾板は伊達英太郎氏保管)

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

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