天象儀(てんしょうぎ)(2)

 大阪市域の電灯事業が大阪市に引き継がれた1923年(大正12)10月、大阪市電気局が発足しました。それから10年後の1933年(昭和8)、市営電灯事業が順調な経営成績を挙げ、その還付として市民のためのサービス施設をつくろうと計画されたのが電気科学館です。

 当初、遺憾なく電気を使用する施設ということで、美容室・大衆浴場・大食堂・スケートリンク等を中心とする案が考えられました。しかしその後、ドイツカール・ツァイス社のプラネタリウムの輸入を企画し、天文と電気の博物館へと計画が移行していきました。

 工事は、1934年(昭和9)6月1日に始まりました。

 プラネタリウムドーム外側は、大地球儀になっていました。

 ランゲ技師の左は、山本一清氏と思われます。

 プラネタリウムについての詳細は、大阪電気科学館 天象儀(1)をご覧ください。

 1937年(昭和12)3月13日、電気科学館は開館しました。

 これから、伊達英太郎氏が遺された多数の資料を紐解きながら、電気科学館、特にプラネタリウムの活躍の様子をお伝えしていきたいと思っています。

(参考文献)

電気科学館二十年史,森田譲,大阪市立電気科学館,1957/3/10

(「建築中の大阪四ツ橋電気科学館」は伊達英太郎氏天文写真帖より、新聞記事は伊達英太郎氏天文蒐集帖より)

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

2コメント

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  • double_cluster

    2023.03.09 08:12

    コメントをありがとうございます。伊達氏がお住まいだった西心斎橋と四ツ橋とは、地下鉄で2駅ほどかと思います。伊達氏の目と鼻の先で、東洋初の大事業であったプラネタリウム新設工事が始まったわけですから、伊達氏の喜びの大きさは容易に想像できます。 伊達資料は多岐に亘っていますが、プラネタリウム関連は、一つの大きな山です。電気科学館は大阪大空襲で被害を受けていますから、伊達氏の資料は唯一残っているものが多いかと思います。これからじっくりと、この山にしがみつこうと思っています。お付き合いのほど、よろしくお願いします。また、大阪支部報に、簡略な月面図もありましたので、後日公開させていただきます。
  • manami.sh

    2023.03.08 22:28

    いろいろな資料が出てきますねぇ。 西森さまは写真好きだったのも、わかります。 シッカルト、暗斑が目立ちます。 月面といい、伊達資料といい、今後とも掲載を楽しみにしています。