2023.04.23 03:30名古屋市立科学館 2023/4/23 名古屋市立科学館に行ってきました。閉館前の到着だったため、駆け足での見学になりました。なんとか、16:40からのプラネタリウム最終投影に間に合いました。
2023.03.08 12:02天象儀(てんしょうぎ)(2) 大阪市域の電灯事業が大阪市に引き継がれた1923年(大正12)10月、大阪市電気局が発足しました。それから10年後の1933年(昭和8)、市営電灯事業が順調な経営成績を挙げ、その還付として市民のためのサービス施設をつくろうと計画されたのが電気科学館です。 当初、遺憾なく電気を使用する施設ということで、美容室・大衆浴場・大食堂・スケートリンク等を中心とする案が考えられました。しかしその後、ドイツカール・ツァイス社のプラネタリウムの輸入を企画し、天文と電気の博物館へと計画が移行していきました。 工事は、1934年(昭和9)6月1日に始まりました。
2023.03.08 09:00天象儀(てんしょうぎ)(1) 伊達英太郎氏が主宰していた天文研究会は、東亜天文協会大阪支部と名を変え、新装された大阪市立電気科学館を本部として活動を始めました。 大阪市立電気科学館は、1937年(昭和12)3月13日にオープンし、1989年(平成元)5月に閉館するまでの52年間、「四ツ橋の電気科学館」「四ツ橋のプラネタリウム」として大阪市民に親しまれました。その大阪市立電気科学館が、開館するに伴い導入したのが天象儀(プラネタリウム)です。 現代の日本には数多くのプラネタリウムがありますが、大阪市立電気科学館が開館した当時、日本には1台もプラネタリウムはありませんでした。 当時のプラネタリウムは、ドイツのカールツァイス社の専売品でした。カールツァイス社が大阪市に提示した金額は、32...
2021.10.16 02:15旧小田邸天文台 以前から気になっていた写真と記述が、伊達氏の天文写真帖にありました。小田氏の天文台ドームとZEISS13cm(正確にはZEISS16cmアストログラフ)についてのものです。 星の手帖Vol.11(1981年冬号,河出書房新社)に、小田天文台についての詳しい記事を見つけましたので、その後の経緯と共にご紹介したいと思います。 小田良治氏(1872-1943)は、北海道で財を成した実業家です。北海道にも邸宅がありましたが、成功者は東京にも別邸を持つというのが当時の習わしの様に、東京麻布鳥居坂に広大な敷地を購入し邸宅を建築しました。設計はアメリカ人建築家のガーディナーが担当しました。完成は1924年(大正13)、完全冷房の住宅としては、日本最初のものだったよ...
2020.01.19 07:39山田 幸五郎氏 カール・ツァイスや、エルンスト・アッベについて調べると、よく参考文献の著者として登場するのが山田幸五郎(やまだ こうごろう)氏です。その山田幸五郎氏が、1940年(昭和15)に出版したのが、「光学機械器具」です。 旧仮名遣い、旧漢字がたくさん出てくる、いかめしい題名の本です。しかし、読み始めてびっくりしました。内容がとても分かりやすく、名文で、スッと読むことができます。 山田幸五郎氏(1889-1982)は、日本光学界の先駆者です。東京大学大学院では、有名な物理学者 長岡半太郎氏に師事しました。第一次世界大戦後の日本にとって、光学兵器の開発は国の急務でした。海軍は、東京大学物理学教室にその人材を求めました。それに対して、長岡氏は、山田幸五郎氏を推薦し...
2019.09.22 07:00ZEISS(ツァイス)④ 著者は、ツァイスレンズについて、豊富な知識を持った方です。本書には、ツァイス・イコンカメラの傑作や、ツァイスレンズの設計者たちについての詳しい記述が見られます。しかし、本書の見所は、著者が東ドイツを訪れた紀行文だと思います。 1977年に訪れたベルリンでは、駅の周囲に鉄条網がはりめぐらされ、ほぼ10m間隔で多数の兵士が立っていたそうです。また、兵士は手に自動小銃を持ち、通過する列車を監視していました。列車が停車すると警官が列車に乗り込み、あっという間にドアが施錠され、パスポートのチェックが始まりました。これらは全て、不法移民を取り締まるためのものです。20~30分の停車の後、発車した列車の車窓から見た東ドイツ領のベルリンは、大戦中の空爆で破壊された教...
2019.09.22 06:15ZEISS(ツァイス)③ エルンスト・アッベの生涯に感銘を受け、さらにアッベについて知りたいと思い、「社会的経営理念」を読みました。 とても硬い題名の本ですが、内容はカール・ツァイス、エルンスト・アッベ、オットー・ショットの顕微鏡開発成功物語です。(ただし、ちょっと文体が古いです。)そして、中心人物は、何と言ってもエルンスト・アッベです。 ところで、JMMA日本顕微鏡工業会のHPで、顕微鏡の歴史や基礎を執筆しておられる長野主悦(ちから)氏(国立科学博物館産業技術史資料情報センター主任調査員)が、「アッベのような開発者を志す」きっかけになった本が、「硝子(ガラス)の驚異」という本です。ただしこの本は、太平洋戦争中の翻訳出版ですから、現在入手するのは困難だと思われます。 ところが...
2019.09.21 06:37ZEISS(ツァイス)② アッベは、家族全員が腸チフスにかかるという経済的困苦の中、イェーナ大学の正教授の夢を捨て、カール・ツァイス社との関係を深めていきました。フリードリッヒ・ヴィルヘルム大学の光学教授や、ベルリンの物理学研究所共同所長になってほしいという要請も断りました。アッベは、企業としてのツァイス社の存続を第一に考えました。同族経営が将来に禍根を残すことを危惧し、経営に消極的だったカール・ツァイスの息子、ローデリッヒ・ツァイスの退職を十分な補償を持って勧めました。また、カール・ツァイス社の実質的な所有者となったアッベは、自らの財産をカール・ツァイス財団に全て捧げました。財団が、ツァイス社とショット社を実質的に管理指導する体制を築きました。そして、自らは指導的一社員とな...
2019.09.15 07:16ZEISS(ツァイス)① ツァイスと言えば超一流、でも高価というイメージを私は抱いていました。ツァイスは、ドイツの超有名企業です。私もかつて、ツァイスの双眼鏡(7×42BGA Ciassic T*P、Galan)を持っていたことがあります。特に、7×42BGA Ciassic T*Pは、景色が油絵のように見える、他にはない見え味の別格の双眼鏡でした。残念ながら今は、両双眼鏡とも、手放してしまいました。 ところで、顕微鏡について調べるにつれ、ツァイスについて私は何も知らないということがよく分かってきました。 カール・ツァイスは、ツァイス工業の創業者の名前です。創業は1846年。場所は、ドイツ東部の古都イェーナです。カール・ツァイスは、イェーナ大学のために理化学機器を作製し、納入...