野尻抱影氏(1885-1977、英文学者・随筆家・天文民俗学者・冥王星の和訳命名者、作家大佛次郎氏の兄、ウィキペディアより)も、中村要氏の逝去に伴い、追悼文を寄せています。
黄道光課通信(17)1932.10.7その1
倉敷天文台 黄道光課長 荒木健児
「中村顧問追悼ーーー今日までに、抱影先生はじめ、多くの課員諸君から御文をいただきましたから、先ずひとまとめにして御目にかけます。課の大地震であります。お見舞いは課長が代理で受けます。
野尻抱影先生ーーー中村要氏ご逝去のご報には全く驚き入りました。日本天文学界の一角が、けし飛んだと言う印象を抑えることが出来ませんでした。学理の方面ではこれからも学者が輩出するか知れませんが、氏の如き技術家は滅多に得られるものとは思えません。困ったことになりました。少なくとも花山を思う時、僕は山本博士と同時にがっしりと控えて居られる中村氏を想って、ご丈夫な方、いくらでも未来のある方とばかり信じていました。僕には未見の同氏でしたが、僕の知己で同氏に望遠鏡のお世話になった人は相応にあります。その方面の天文ファンー殊に将来多数のファンの事を考えると、ここにも亦氏を失った影響の多大なことを痛感させられます。天文同好会幹部諸賢のご落胆、別して山本台長のご哀傷拝察するに余りがあります。謹んでお悔やみ申し上げます。今は一度ラジオで伺った優しい上方弁のお声を想起して、遂にお目にかからず終わりになった中村さんのご冥福を祈っている次第であります。」
(1枚目写真:東星会総会、前列左から3人目が野尻抱影氏当時57歳、2枚目写真:1枚目写真に写っている方々の氏名、3枚目写真:野尻抱影氏から伊達英太郎氏へのハガキ、4枚目写真:野尻抱影氏から伊達英太郎氏への年賀状、いずれも伊達英太郎氏天文写真帖並びに天文蒐集帖より)
0コメント