石岡繁雄氏(5)

「ガラス乾板の水銀増感法」

 石岡繁雄氏が星野写真撮影に用いたのが、カール・ツァイス社(ドイツ)のテッサーレンズ(焦点距離16.5cm,F2.7)でした。石岡氏の星野カメラの鏡胴は、当初は蛇腹式でした。

 若山英太(つねた)氏が観測している写真を見ると、星野カメラの鏡胴部分が箱型に改造されているのが分かります。また、接眼部も、13cm鏡筒の真ん中寄りに移動しています。可変観測用椅子(石岡繁雄氏設計)の高さに合わせた改造なのでしょう。

 1941年(昭和16)に撮影したと思われる、いて座の銀河中心部付近と暗黒星雲です。

 アンドロメダ銀河(M31)とその周辺です。

 オリオン座です。テッサーは焦点距離165mmですので、画角内にベテルギウスが入っていません。

 ペルセウス座の二重星団h・χです。写真を複写拡大したため、星像が甘くなってしまいました。花山天文台から称賛された写真です。

 上の写真は、「石岡繁雄氏(1)」でご紹介した、かみのけ座とりょうけん座の星野写真の裏書きです。備考にHg3時間増感とあります。水銀による増感(水銀法)が3時間されたという意味です。水銀法は、ガラス乾板を数倍の感度にする方法として当時用いられていました。

 水銀法、その方法は、デシケーター(防湿保管庫)の中に水銀を少量(豆粒くらい)入れ、この中にガラス乾板を黒紙に包んで数日間放置します。また、デシケーター内の温度を上げて水銀の蒸気圧を上げると、増感時間は短縮されます。100℃付近まで温度を上げると、増感処理時間は数十秒まで短縮されます。

 石岡繁雄氏の水銀法の作業の様子を、石岡あづみ様が記録されています。

 「暗室に使った押し入れの中にガラス板を設置して、水銀を火にかけるんだが、猛毒なので少しでも吸いこんだら危ない。火にかけたとたん、息を止めて一気に仕上げる。たまに、ウッ吸いこんでしまったか。と思える時があって、身の縮む思いがするんだよ。」

 上の写真の接眼部に取り付けられているのは、ROSS社(イギリス)のレンズ(焦点距離21.6cm,F4.5)が付いた蛇腹式カメラです。ROSS社は、イギリスの名門レンズメーカーで、ツァイスの総代理店として、1914年からはテッサーレンズも生産していました。ROSSのテッサータイプのレンズはXpressと改称され、テッサーに比べて全く引けを取らないレンズとして高い評価を得ていました。

 13cm反射望遠鏡の接眼部に、ROSSカメラを取り付けて撮影された、1941年(昭和16)9月21日の部分月食です。

 1941年(昭和16)11月2日に撮影された火星食です。

 1941年(昭和16)9月6日の部分月食です。

 石岡氏の天体写真の記録(写真の裏書きでデータが分かるもののみ)

1941年(昭和16)7月3日 月の撮影 9月6日 部分月食撮影 9月21日 部分日食撮影(読売新聞記事) 11月  2日 火星食撮影 11月11日 プレアデス星団撮影 11月17日 ぎょしゃ座の銀河撮影

1942年(昭和17) 3月16日 しし座 撮影、黄道光撮影 3月20日 かみのけ座・りょうけん座 撮影

1943年(昭和18) 3月  2日 ホイップル彗星撮影

(出典)

石岡繁雄の一生HP 綺羅星の章

東海国立大学機構(名古屋大学)大学文書資料室

(参考文献)

技術ノート(ホログラフィー用感光材料)ハロゲン化銀感光材料2(前処理を中心に),応用物理第40巻第2号,1971

カメラマンのための写真レンズの科学,吉田正太郎,地人書簡,1986

滲みレンズHP https://www.oldlens.com/index.htm

ロッス,Wikipedia,2023/6/7閲覧

(ホイップル彗星と裏書きの写真は、伊達英太郎氏天文写真帖より)



中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

0コメント

  • 1000 / 1000