科学少年(2)

月の研究号

 1928年(昭和3)3月に、伊達英太郎氏(当時16歳)が一人で発行した「科学少年」第二号です。

 3月号は「月の研究号」ということで、

1.「天空征服」(月世界旅行、空想小説)

2.「科学小話」

3.「お月様の正体は?」

 (1)月の運動

 (2)月の大きさ

 (3)地球より見える月面は59%

 (4)月の山岳

 (5)大亀裂

 (6)不思議な白色放射線

 (7)月の温度

4.趣味天文望遠鏡の歴史 第四回

 (七)ハイゲンスと望遠鏡

 (八)反射望遠鏡

5.「何故地平線近き(即ち月入月出)月は大きく、中天にかかれる月は小さく見えるか」

6.「天文小説 月世界旅行の計画(モクロミ)」

7.「子供天文 三月の星空」

8.「エンケ彗星」

9.「太陽黒点の観測」

10.「月へは何日でいけるか?」

の内容で、全18ページです。

 

(大阪明星商業在学中の伊達英太郎氏)

1.「天空征服」(月世界旅行、空想小説)

2.「科学小話」

3.「お月様の正体は?」

 (1)月の運動

 (2)月の大きさ

 (3)地球より見える月面は59%

 (4)月の山岳

 (5)大亀裂

 (6)不思議な白色放射線

 (7)月の温度

4.趣味天文望遠鏡の歴史 第四回

 (七)ハイゲンスと望遠鏡

 (八)反射望遠鏡

5.「何故地平線近き(即ち月入月出)月は大きく、中天にかかれる月は小さく見えるか」

6.「天文小説 月世界旅行の計画(モクロミ)」

7.「子供天文 三月の星空」

8.「エンケ彗星」

9.「太陽黒点の観測」

10.「月へは何日でいけるか?」

*裏表紙

 この「科学少年」3月号発行前に、伊達英太郎氏は、中耳炎のため3カ月ほど入院を余儀なくされました。そのようなアクシデントにも関わらず、この冊子を伊達氏は一人で作り上げました。16歳の少年の作とは思えない量と質です。特に、将来の月面探査を予見する知力には驚かされました。

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

3コメント

  • 1000 / 1000

  • double_cluster

    2023.07.08 00:09

    manami.sh様、いつも詳細なコメントをいただき、ありがとうございます。山本一清氏の「ゆかりの友(3)伊達英太郎君」(「星と空」第37号,1957年2月号)によると、「天文同好会が出来て以来、大阪かいわいには真にたよりとするに足る会員が多い。その中でも伊達英太郎君は最も有力な会員の一人であった。伊達君は、同好会の創立(*1920年)以来の会員ではない。しかし、関東の大震災(*1923年9月1日)の直後、即ち大正の末(*1926年=大正15,昭和元)頃には既に十数名に上る熱心なアマチュア天文家のリーダーの一人として、伊達君は目立つ人物であった。」とあります。こう見ると、伊達氏は10代前半から同好会的な集まりを組織していたか、同好者のリーダーとして活躍していたことが分かります。伊達氏の蔵書には、残念ながら「月」はありませんでした。しかし、製本された「天界」は1927年から保管されていますし、「天文月報」は1929年からが保管されています。中村要氏の「初歩の天体観測」(1926年)もありました。 しばらく、伊達英太郎氏について掘り下げていきたいと思っています。どうぞ、お付き合い下さい。
  • manami.sh

    2023.07.07 00:49

    一戸直蔵「月」は1909年出版でした。その後、増補改訂版も出てますので、十分参考になりますねぇ。
  • manami.sh

    2023.07.06 12:54

    伊達氏に関しての貴重な資料ですねぇ。 最初に、よく保管されていたものだと、とても驚きました。すごいです。 「子供の科学」昭和3年10月号に伊達氏の投稿があり、「毎日黒点を観測してスケッチしています。天文に趣味のある方はお手紙を下さい。」とあります。今回、ご紹介くださった資料の中にも黒点観測の記述あり、投影板の記述もあり、伊達氏の黒点観測への熱意が伝わってきます。 月に関しての知識の基は何だったのでしょう。一戸直蔵「月」1929年は少し遅いですし、古川竜城の「月夜にあこがれて」1923年、「月の科学」1924年といったものもありますが。 伊達氏は、この頃から同好会みたいなのを作っていたのかもしれませんねぇ。 「子供の科学」の影響で各地に科学同好会が出来てきた時期でもあります。 昭和4年には大阪少年科学同好会というのもありました。 次回も楽しみにしています。