乾板(かんぱん)写真

 伊達英太郎氏(東亜天文協会遊星面課)のもとには、多数の遊星(惑星)面スケッチが送付されてきていました。その中には、手札判(8cm×10.5cm)の写真乾板(かんぱん)もあります。写真乾板は、いずれも木辺慈麿氏と奥様の村子氏が、1941年(昭和16)10月に撮影されたものです。

 写真乾板は1890年代から天文学に用いられ始めました。1995年までには、米・コダック社が研究用の大型ガラス乾板の製造を中止しています。天文学と乾板は、とても長い付き合いとなったわけです。

 1枚目の写真は、イーストマン・コダック社の乾板(イーストマン40、12×16.5cm)1ダースの上蓋です。

 2枚目から7枚目までは、木辺慈麿氏と奥様の村子氏が撮影された手札乾板です。(ただし、土星については撮影者の記述が見られません。画像ソフトにより、白黒を反転させています。)機械は、木辺氏が研磨された31cmF1240mmカセニュートン反射赤道儀が使われています。いずれも、直焦点撮影です。興味深いことに、火星や土星は、1枚の乾板にいくつもの像が撮影されています。乾板の価格や、曝露せずに機械に取り付ける手間を考えてのことが理由かと思われます。直焦点なので、乾板上の火星の直径は約1mm、土星は環を含めて約2.5mmです。

 8,9枚目は、伊達英太郎氏の乾板撮影システムです。10枚目は、射場観測所の19cmF12の屈折望遠鏡とツイン星野カメラです。星野カメラの乾板取り付け部がよくわかる写真です。

(資料はすべて、伊達英太郎氏所蔵品、並びに、伊達英太郎氏天文写真帖より)

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

0コメント

  • 1000 / 1000