1941年中国大陸・台湾・石垣島皆既日食(29)

南洋ロタ島事情(6)ロタ島皆既日食観測計画海軍統一様式

 1941年(昭和16)9月21日の皆既日食観測を南洋群島ロタ島で行いたいと希望していたのは、東北帝国大学・九州帝国大学・上海自然科学研究所の3班でした。秋吉大佐は、ロタ島皆既日食観測計画書を海軍の様式に統一することが事務手続き上便利と考えて、この文書を作成しました。

「昭和16年7月9日 水路部第2部第4課 秋吉大佐 海軍軍務局局長宛 日食観測の件

ロタ行希望の向3班を綜合し 同封の様式にて出願せしめては如何と存候 御意見承度」

「昭和16年7月 水路部第2部第4課 海軍大佐 秋吉利雄

九州帝大教授 鈴木清太郎殿

同      伊藤徳之助殿

東北帝大教授 中村左衛門太郎殿

ロタ島に於ける日食観測計画の件照会

主題の作業の実施には 事前海軍の許可を必要と致候処 許可願は各大学の分を文部省に於て綜合し 文部次官の名を以て提出せらるるを事務上便利なりと存候に付ては 別紙要領(図5)の計画書御作製の上 文部省に(写1部小官にも)送付方御取計相成度 尚本件科学課長と打合せ済に有之候 別紙 添 写送付先 文部省専門学務局科学課長 (終)」

 各大学・研究所の出願書類は、以下の順で海軍大臣に提出される予定であったことが分かります。

1.各大学・研究所は、海軍の様式に基づいた出願書類を作成し、水路部に提出する。

2.水路部は各大学・研究所の出願書類を取り纏め、文部次官に提出する。

3.文部次官は、海軍次官に書類を提出する。

4.海軍次官は、海軍大臣に書類を提出する。

5.海軍大臣が日食観測隊派遣を許可する。

 海軍の統一様式に沿って作製された、東北帝国大学理学部班の出願書類モデルです。

 別紙1.2.3迄 例 各大学観測班に之と同等のものを提出せしむ(赤字書き込み)

「昭和16年7月 東北帝大理学部班 ロタ島に於ける皆既日食観測計画

1.日食時日 昭和16年9月21日

2.観測場所 南洋群島ロタ島上

3.観測母体 東北帝大理学部

4.観測員  

東北帝大助教授 加藤愛雄 同講師 佐藤隆夫 同助手 斉藤良一 同学生 佐々木芳治 (合計4名)

5.観測事項

イ.地磁気 地電流 

ロ.日食時に於ける太陽及全天輻射量

ハ.コロナの輻射及スペクトル 

ニ.空中電気及大気電導率 

ホ.一般気象 

ヘ.岩石見本採取 

ト.観測に関する写真撮影(海岸、高度撮影等を含まず)

備考イ、ヘ、ト項は時日あらばサイパン島に於ても実施したし

6.観測器械類

合計容積 約8 ㎥ 重量約 t 個数15 最大重量品約50 kg 1個

7.行動予定

8月28日横浜発(横浜丸)

9月2日サイパン着 9月4日頃ロタ着

9月下旬ロタ発 10月3日サイパン発(サイパン丸) 10月7日横浜着(但学生は9月24日サイパン発山城丸便に依る)

8.其の他

機密保持 一般事項の発表 観測成果の公表等に関しては 海軍の規定並に指示に従うものとす(終)」


(引用)

故秋吉利雄氏保存資料

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

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