伊達英太郎氏の太陽観測(1)

 故・伊達英太郎氏(1912-1953)の太陽観測記録について、伊達氏の天文資料を精査しています。

 (上の写真は、1934年10月から太陽黒点観測に使用し始めた、8cm無メッキ太陽観測用反射望遠鏡とそれを覗く伊達英太郎氏)

 伊達氏の太陽観測は、1927年(昭和2)1月16日に始まりました。伊達氏が15歳になる前後の年齢です。1929年(昭和4)9月に天文同好会太陽課員となり、1930年(昭和5)7月からは、日本天文学会「天文月報」に太陽観測結果を送り始めました。

 今回は、伊達氏が主催した、天文同好会大阪南支部・天文研究会の会誌「THE MILKY WAY」6号(1934年12月10日発行)に掲載された「太陽観測八年を顧みて」をご紹介します。

(参考文献)

私の太陽観測に就て(第一報),三澤勝衛,天文同好会「天界」第2巻第15号,1922.1.25

日本アマチュア天文史,日本アマチュア天文史編纂会,恒星社厚生閣,1987

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

2コメント

  • 1000 / 1000

  • double_cluster

    2024.06.05 05:08

    manami.shさま、コメントをありがとうございます。「子供の科学」の譲りたいという文面、知りませんでした。貴重な情報をありがとうございます。伊達氏といえば遊星面と思っていましたが、長期にわたって取り組まれたのは、やはり太陽観測ですね。1927年~:1インチ半シングルレンズ屈折(子供の科学社、FL約500mm)、1929年5月~:11cm反射(静岡 村木鏡、115倍投影)、1931年1月~:五藤光学ダイアナ号36mm屈折、1934年10月~8cm(7.6cm)無メッキ反射(木辺鏡、西村製)と観測機材は変化していきます。次回は、「科学少年」等の太陽観測報告をご紹介する予定です。また、1943年に「天界」に掲載されたプロミネンスの記事と、それに使用された76mm屈折(木辺レンズ)赤道儀もご紹介する予定です。 Seestarの写真が続き恐縮です🙏 Seestarに出合うまで、眼視による星雲星団観望が一番だと思っていました。でも、これほど簡単に、誰にでも同じように宇宙の姿を見せてくれるSeestar。考えが全く変わりました。画像を見て、天文学的な知識が広がるのを日々感じています。
  • manami.sh

    2024.06.03 23:10

    こんにちわ。 p22にある五藤甲号については、当時の「子供の科学」に、伊達氏は譲りたいとの文面を寄せて いました。どうして手放したのかと思っておりました。 読んでいて、伊達氏の太陽観測歴は、とても面白く、引き込まれてしまいます。 続きも楽しみにしております。 SeeStarによる掲載写真は、ここまで見れるのかと思うと、とても吃驚です。