射場天体観測所(5)

20cm(木辺鏡)反射赤道儀

 これは日食撮影用に製作された、20cm(木辺鏡)反射赤道儀(フォノモータードライビング付き)です。この望遠鏡について、興味深い記述があります[1]。

「東京科学博物館の鈴木隆信は、発明直後のアルミメッキ鏡を使って、稚内でフラッシュスペクトルの撮影に成功した。これまでの銀メッキでは写らない短波長側を含んだこの写真は世界最初であった。これに使用した17cm対物プリズム(頂角15度)と20cm反射は、射場の注文により木辺が研磨し、西村のドイツ式赤道儀に載せた。この機械設備は次の1941年の日食に際し、水沢緯度観測所(現国立天文台水沢)の服部忠彦、平三郎が台湾近傍のアジンコート島で使用し、戦後他の射場の設備とともに東京天文台に移管された」

 20cm反射赤道儀の写真の裏面には上のスタンプが押されていました。「Y. Iba.,F.R.A.S, Member of Council, A.S.J. Hon. Member A. H.L Sweden. IBA ASTRONOMICAL OBSERVATORY., OHTE, KOBE, JAPAN.」翻訳すると「射場保昭、F.R.A.S(イギリス王立天文学会会員)、A.S.J.(スウェーデン王立天文学会)評議員、A.H.L.(スウェーデン王立天文学会)名誉会員 射場天文台、大手、神戸、日本」です。

 アジンコートで窪川一雄氏が使用した、射場氏の20cm反射赤道儀です。伊達氏の赤鉛筆での書き込みは「コノ21cm反射は木辺氏研磨ノ射場氏ノモノデアル(21cm f5 対物プリズム取付)」

 この20cm反射赤道儀について、射場氏の御子息の射場満家氏の興味深い述懐がありますので引用します。

「東京天文台の技師であった窪川一雄は,1938 年に台湾総督府気象台附属天文台の技師・気象台副台長として台湾に赴任する前から射場保昭と交際があった.1941年9月21日に台湾で皆既日食が見られたが,この観測に窪川は,射場天体観測所の観測器材(8 インチ反射赤道儀を含む)を使用したという.日食観測終了後,窪川が射場家にお礼を言いに訪れた.射場満家氏は,このときの印象を彼が着帽していた白いヘルメット帽子を雑誌「少年倶楽 部」で見た「冒険ダンキチ」のようだったと思ったと語ってくれた.窪川はこのとき,台湾の高砂民族の舞踊姿と背景に農村風景が描かれた額を置いていったという.踊る男子 5 名の顔の部分に白い貝が埋め込まれていたのが印象的だったそうだ[2] 」

(参考文献)

[1]日本アマチュア天文史編纂会(1994)『続日本アマチュア天文史』,恒星社厚生閣:277-285

[2]竹本修三(2015)「明月記をめぐる射場保昭と神田茂・井本進との交わり 」,日本天文学会 ,天文月報108(7):436

中桐正夫「射場天体観測所の7吋半屈折望遠鏡の行方」,アーカイブ新聞 (2015年12月7日 第887号),国立天文台・天文情報センター

(写真・新聞記事は伊達英太郎氏天文資料より)

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1968年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。FRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

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