2018.07.16 03:52木辺成麿氏(3) 1936年(昭和11)6月19日に、北海道で皆既日食がありました。木辺成麿氏は、花山天文台員として観測隊に加わっています。中村要氏もそうでしたが、光学技術者として、日食観測前まで木辺氏も大忙しだったようです。各地の観測隊用に、20cm鏡を4~5面、神戸射場氏用に19cm15°の対物プリズムを1カ月ほどで完了させなければなりませんでした。(1・2枚目:北海道中頓別における京大及びチェコ班、3枚目:中頓別における皆既日食、4枚目:観測中の木辺氏と小山氏、5~9枚目:木辺氏から伊達英太郎氏への観測先からのハガキ、10~14枚目北海道各地の日食スタンプ、いずれも伊達英太郎氏天文写真帖並びに天文蒐集帖より)参考文献:日本アマチュア天文史,日本アマチュア天文史編...
2018.07.13 22:14木辺成麿氏(2) 木辺成麿氏は、天文同好会(現東亜天文学会)の遊星面課の課長でもありました。そして、熱心な火星観測者でした。1935年(昭和10)には、31cm鏡を製作し、西村製作所の赤道儀に搭載しています。当時は、花山天文台や倉敷天文台をしのぐ、国産最大の天体望遠鏡でした。(1枚目:京都西村製作所前にて、左から高井氏・木辺氏・前田氏・伊達氏・宇野氏、2・3枚目:木辺氏撮影による木星と月面、3枚目:木辺氏撮影の月面写真に伊達英太郎氏が地形の名称を書き込んだもの、伊達氏の几帳面な性格がうかがえます。いずれも伊達英太郎氏天文写真帖より)
2018.07.07 04:54木辺成麿氏(1) 木辺成麿氏(きべしげまろ、本名木辺宣慈、1912-1990)は、言わずと知れた反射鏡研磨の名人です。木辺氏と言えば、木辺鏡であり、赤い表紙の「反射望遠鏡の作り方」(誠文堂新光社)の著者としても有名です。また、木辺氏は真宗木辺派21代門主であり、光学技術者(レンズ和尚)としても名を残しています。(ウィキペディアより) 木辺氏が中村要氏と出会ったのは、木辺氏が14歳の時でした。木辺氏の義兄(藤谷為隆氏)が山本一清氏の個人助手だったことから、つながりは始まりました。木辺氏は、10歳前後で天文に興味をもち、レンズを組み合わせて作った望遠鏡や、中古のプリズム双眼鏡で実際に星を見るようになりました。そして14歳頃からは、山崎正光氏や中村要氏の教本を見て、鏡面研磨...