2022.08.13 00:3426cm反射と四天王 伊達資料の写真は、ほとんどが写真乾板によるものです。しかし、伊達氏が終戦前後にライカ等で撮影したネガフィルムが、少し残されていました。そこには、伊達氏の26cm反射赤道儀(木辺鏡、西村製作所)や、火星観測の四天王(木辺成麿氏、伊達英太郎氏、渡辺恒夫氏、前田治久氏)の姿が写し出されていました。前田氏が1952年(昭和27)、伊達氏が1953年(昭和28)に逝去されますから、当時の4人の写真は、とても貴重だと思います。
2021.08.02 23:591941年(昭和16)の火星スケッチ(6) 今回は、前田静雄氏(1914-1952)の火星スケッチをご紹介します。 前田氏は、1936年(昭和11)に、木辺氏の個人秘書をしました。また、1940年(昭和15)には、木辺氏の代役として小糸製作所で反射鏡研磨も行いました。 このスケッチは、前田氏自作の鏡面に、508倍という高倍率をかけて得られたものです。
2021.05.05 04:361937年(昭和12)の火星スケッチ(2) 1937年の火星スケッチ2回目は、前田治久氏(後に静雄に改名、1914-1952)です。1936年(昭和11)6月30日に発行された、東亞天文協会観測部遊星面課「回報」第壱号の、前田治久氏の紹介記事から始めます。 「前田治久氏・・・昨年(1935年)の火星接近に凄い所を見せられ、10cmの威力を十二分に発揮された。将来は火星を専攻されると言うから、差し詰め、日本のピケリングと言う処。本年中に20cm反射を完成され、1937年度の火星接近に備えられる筈である。他の天体は観測する気がせぬそうだから、徹底的な火星狂である。」 前田氏の機材等についての記述はありません。
2021.05.01 06:241935年(昭和10)の土星スケッチ 1935年の惑星スケッチも、土星を残すのみとなりました。今回は、東亞天文協会遊星面課四天王のうち、前田治久氏・渡辺恒夫氏・伊達英太郎氏の土星スケッチをお送りします。