伊達資料の写真は、ほとんどが写真乾板によるものです。しかし、伊達氏が終戦前後にライカ等で撮影したネガフィルムが、少し残されていました。そこには、伊達氏の26cm反射赤道儀(木辺鏡、西村製作所)や、火星観測の四天王(木辺成麿氏、伊達英太郎氏、渡辺恒夫氏、前田治久氏)の姿が写し出されていました。前田氏が1952年(昭和27)、伊達氏が1953年(昭和28)に逝去されますから、当時の4人の写真は、とても貴重だと思います。
この4枚の写真は、乾板写真によるものです。
主に火星観測のために、南の空が開けた場所に、26cm反射赤道儀が設置されていたことが分かります。(ネガフィルム)
望遠鏡を覗いているのが木辺成麿氏、右端が前田治久氏。(ネガフィルム)
左が木辺成麿氏、右が伊達英太郎氏。(ネガフィルム)
左が渡辺(佐伯)恒夫氏、右が伊達英太郎氏。渡辺氏の出征前かもしれません。
(ネガフィルム)
戦後でしょうか。体調が優れない伊達氏の様子が分かります。
伊達氏の火星図を撮影した乾板写真(上)と反転画像(下)
1937年(昭和12)に伊達氏が作製した火星図。
(写真は伊達英太郎氏撮影、火星図は伊達英太郎氏天文蒐集帖より)
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