1937年(昭和12)の火星スケッチ(1)

 1937年は、火星の最接近が5月28日(衝は5月19日)、距離7610万Km、視直径18.4秒でした。観測陣は充実し、渡辺恒夫氏は花山天文台の30.6cmクック屈折と15.5cm反射、前田治久氏は20.8cm反射(400倍によるパステルスケッチ)、伊達英太郎氏は26cm木辺鏡、木辺氏は31.8cm自作反射という、アマチュアとしては国際水準でも引けを取らないものでした。戦前の一番充実した、火星観測の年となりました。

 1回目は、渡辺恒夫氏(当時花山天文台員)による火星スケッチ(ハガキ)です。なお、消印が不明瞭なため、掲載順が違っている恐れがあります。どうぞ、ご了承ください。

(参考文献)

日本アマチュア天文史,日本アマチュア天文史編纂会,恒星社厚生閣,1987,P55-57

(資料は全て伊達英太郎氏保管)

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

2コメント

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  • double_cluster

    2021.05.04 12:17

    たいへん詳細なコメントをありがとうございます。私も紹介記事を書きながら、勉強させていただいています。伊達氏の資料は優に80年は経過していますが、戦争や災害を乗り越え、貴重な時代の記録を雄弁に物語っているようです。私の役目は、伊達氏とご覧いただく皆さまとのパイプ役だと思っています。1937年は渡辺氏の他に、青木章氏、前田治久氏、中村文造氏、津久井氏、小林義生氏、宗田順二氏、R.Okumura氏、大石辰次氏、寺田稔氏、T.Kawasima氏の火星スケッチ、小沢喜一氏の金星スケッチが残されています。月面図ですが、山本一清氏が入手したカルバー46cm反射望遠鏡がグドエーカー氏所有のものでしたから、月面図とも繋がりそうですね。中野氏のスケッチは、1938年から登場します。前田氏の入隊ですが、銃を持った軍服姿の写真等(公開は控えようかと思っていますが)が残されています。次回も、よろしくお願いします。
  • manami.sh

    2021.05.04 09:34

    今回も、興味深いです。私もとても勉強になります。 このような記録が残っており、それを拝見できるのは、とても気持ちが昂ります。 葉書、情報満載です。 伊達氏に宛てた佐伯氏の葉書の中のメモアとはBAA火星課の年報or月報を指している と思いますが、海外の情報にも通じていたことのあらわれかもしれません。 (山本一清氏経由でしょうか。) 中野繁氏が医大に通学している件もあります。中野氏も大分県出身でしたので、同郷 という意味でも佐伯氏は中野氏と交流があったということでしょうか。 佐伯氏の私の月面図というくだりも、気になります。 自身で作成したもの、それとも別のもの?、当時の最高峰はGoodacerの月面図ですが 入手していた? 気になります。 火星の地名も現在とは呼び名が異なりますし、「火星とその観測」1952にある1937年 の火星図と見比べながら、読ませていただきました。 前田静雄氏の件ですが、「天文」第一巻 第六号 天文読書会 1938年12月に消息 として下記の記載がありました。 「火星色彩スケッチの前田静雄(治久)氏は九月十九日応召、京都深草の連隊へ入営 せられました。~」 こちらの方が、同時代資料です。 遊星面課回報も残っているというのは、とても貴重だと思いますし、課員以外は 見ることもできませんが、それも紹介いただけるのは、とてもうれしいです。