1939年(昭和14)の火星スケッチ(1)

 1937年(昭和12)に始まった日中戦争が続く中、1939年には、第二次世界大戦が始まりました。いよいよ時代は困難さを増していきます。

 東亞天文協会遊星面課火星観測陣にとって、1935年に共同観測を開始してから、初めて迎える火星大接近でした。この時の接近は、最接近が7月28日(衝は7月23日)、距離5799万Km、視直径24.1秒でした。しかし、火星の赤緯が-26°あまり、南天低いやぎ座の中にあったので、シーイングの点では不利でした。

 共同観測の参加者は27名、若い観測者も進出し、戦時中でしたが盛況でした。

 1回目は、坂上務氏です。

(参考文献)

日本アマチュア天文史,日本アマチュア天文史編纂会,恒星社厚生閣,1987,P57

(資料は全て伊達英太郎氏保管)

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

2コメント

  • 1000 / 1000

  • double_cluster

    2021.05.23 12:17

    いつもご覧いただき、ありがとうございます。4cm屈折での火星観測、本当にすごいです。この赤道儀ですが、瀧田氏が自作されたものと酷似しています。坂上氏が、瀧田氏に依頼したのかもしれないですね。
  • manami.sh

    2021.05.23 10:26

    愛機の4センチが赤道儀式とは、すごいです。自作or市販? 視直径が20秒を超えているので、かなり大きく見えたでしょうねぇ。それに、4センチで視直径13秒まで観測できれば、上々ではないでしょうか。 坂上氏、すごい。