知新観象台の清水真一氏からの最初の通信です。消印は1933年(昭和8)6月19日です。
「拝啓 過日は笹部君より 御懇状拝受奉謝候 貴君の御精励は *亞2号誌上にて拝承 敬羨(けいせん:仰ぎ慕うこと)致居候 小生同好会へは以前より入会致居候も 其頃は望遠鏡も所有せず 今春 3インチを4インチに更(か)え 且ツインカメラを付候 ポツポツ星野写真でもと存候も 装置に不備の点もあり なかなか思う様に参らず候 4インチは短焦点F11位に御座候 太陽観測も昨秋より花山へ報告申送り候も 4インチの据付遅れ 且先輩諸兄の観測を参考可致(いたすべし)と存候 未だ報告も不致始末に候も 今後御指導を得ば 幸甚に存候 先(まず)は不敢取(とりあえず) 右御挨拶申上候 静岡県島田町579 清水真一拝 昭和8年6月18日」
*伊達英太郎(1933)「140年前岩橋善兵衛の作りし望遠鏡」,東亞天文協会・天文同好会,天界142(13):53~56
上の写真は「日本アマチュア天文史」の表紙になっています。
清水氏が全国から写真の配布を希望されたのは、1933年(昭和8)12月20日の土星および金星の掩蔽写真が「天文月報」の表紙になってからです。
「拝復 過日御懇状不而(しからず)も ミルキーウェー誌御恵送を辱(かたじけなく)申し難有奉拝謝候 御熱心と御努力の結晶と 只管(ひたすら)感佩(かんはい:悉く心に感じること)仕る 神戸射場氏 14日頃御来訪の御状有之候ひ(へ)にも 小惑星御観測の都合にて 遂に御帰神の由 来月御上京の節 御枉駕(おうが:相手の来訪を敬っていう語)のよしと存居候 昨夜琴座撮影候も 未た不満足に候 今晩は曇にてダメに候 静岡県島田町 清水生 1933年6月26日」
(参考文献)
季刊星の手帖'79夏,清水勝,河出書房新社,1979.8.1
(資料は伊達英太郎氏天文写真帖より)
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