倉敷天文台100周年(6)

 金星の月面経過の写真がそうですが、伊達資料の写真の謂れが分かると興味が増します。今回の話題もその一つです。倉敷天文台(1)と写真が重複して恐縮です。

 「8月15日に、広島の大橋君が32センチ赤道儀を二枚撮影されたが、いずれも中判である。

 一枚は望遠鏡だけで、西北から撮られ、遠景が面白く出ている縦型である。

 他の一枚はのぞいている私の後ろ姿と一緒で、西から撮られたから、宿舎がハッキリと出ている。これは横型である。

 会員諸君で望遠鏡を持って居られる方は多いであろう。「我等の天文台」なる倉敷天文台では、諸君の愛機の写真を集めてアルバムを作りたいと思う。奮って写真の御寄贈を御願いする。御礼としては、上記の二種のいづれかを呈上したい。(いづれかを御指定のこと。)既に、福山の廣井、小郡の山田、岡山の後閑、尾道の松本、臼杵の龜井、金屋の小槙、大阪の伊達、島田の清水諸君の傑品を拝受している。」(「天界」139號より引用)

 伊達氏は荒木氏と特に親しかったので、2枚の写真を受け取られたのでしょう。

(引用)

倉敷通信,荒木健児,天界,1932,11(139):411,天文同好会

(写真は伊達英太郎氏天文写真帖より)


中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

0コメント

  • 1000 / 1000