戦前の南炭屋町

 伊達英太郎氏(1912~1953)は、1932年(昭和7)12月、転地療養のため兵庫県川辺郡雲雀ヶ丘に転居しました。上の写真は、生家があった大阪市南区南炭屋町で撮影された伊達氏の観測所の様子です。現在の町名は、大阪市中央区西心斎橋1~2丁目にあたります。

 伊達氏が15歳の時とすると1927年(昭和2)、19歳とすると1931年(昭和6)頃となります。

 物干し台を流用したものではなく、屋根が半分に分かれる本格的な観測所であったことが分かります。

 伊達氏が初めて使用した、小型屈折望遠鏡でしょうか。構造から、五藤式(36mm色消しレンズ)ダイアナ號であることが分かります。三脚部は特注品のようです。

 後年、大阪大空襲で南炭屋町一帯(この観測所も)も、灰塵に帰しました。

(写真は伊達英太郎氏撮影による乾板を反転処理したもの)

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

2コメント

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  • double_cluster

    2022.07.25 05:27

    いつも詳細なコメントをありがとうございます。「子供の科学」談話室の件、知りませんでした。それにしても、manami.sh様は幅広く資料をお持ちですね。凄いです。 私はいつも、伊達氏の早熟さにびっくりしています。沢山の人を感化し、そして緻密。優れた方です。 坂本氏の件も、ありがとうございます。
  • manami.sh

    2022.07.24 22:27

    伊達英太郎氏は「子供の科学」談話室に度々投稿が掲載されています。参考に2件抜粋します。 ・「毎日黒点を観測してスケッチしています。天文に趣味のある方はお手紙を下さい。」   昭和3年10月号 ・「これからは我等天文愛好家のシーズンです。土星の奇体を存分てながめた僕等は又々巨人木星の   雄姿を見んとして居ります。(中略)私は四時半反射で毎日黒点の有様を観測スケッチしてゐま    す。」  昭和4年9月号 ※四時半反射は四吋半反射の誤記と考えられますが、知識がなかったら「四時半に反射で毎日~」と捉えかられません。 昭和4年9月の時点で四吋半反射を所有していたことがわかります。 坂本鑒四郎氏については、「天界」1929.9(99)の会員一覧(3)に阪本鑒四郎名で掲載されていました。