1938年(昭和13)10月の太陽黒点写真

 伊達英太郎氏の貴重なレガシー(遺産)である、11.5cm無メッキ反射望遠鏡による太陽黒点写真をご紹介します。

 今回は、1938年(昭和13)10月分です。

 伊達氏は、1927年(昭和2)10月より、眼視による太陽黒点観測を11年間続けました。また、1939年(昭和14)より、清水真一氏の代わりに太陽写真観測を行うことになりました。

 1938年(昭和13)10月をもって、伊達氏は眼視による観測を打ち切りました。眼視と写真による観測が行われた、記念すべき最後の月の記録です。

 赤の下線が、写真観測を伴った日です。なお、太陽の方位は明確に表示されておらず、黒点の動きから類推しました。おおよそ、右側が公転方向(西)になっています。

 瀬戸黄道光観測所として、草場修氏の名前が見られます。

 なお、写真乾板は、(株)トライテック製トレビュアー照射→デジカメ(Canon SX720HS)撮影→© BannerKoubou.com画像反転ソフトで処理→Macの写真で画像処理を行いました。

(引用)

太陽課だより,木辺成麿,天界,1938,12(212):58-60,東亞天文協会

(11.5cm太陽専用反射赤道儀の写真は、伊達英太郎氏天文写真帖より。太陽黒点写真乾板は、伊達英太郎氏撮影。)

中村鏡とクック25cm望遠鏡

2016年3月、1943年製の15cm反射望遠鏡を購入しました。ミラーの裏面には、「Kaname Nakamura maker」のサインがありました。この日が、日本の反射鏡研磨の名人との出会いの日となりました。GFRP反射鏡筒として現代に蘇った夭折の天才の姿を、天体写真等でご紹介します。また、同時代に生きたキラ星のような天文家達を、同時期に製造されたクック25cm望遠鏡の話題と共にお送りします。

2コメント

  • 1000 / 1000

  • double_cluster

    2022.07.29 09:33

    コメントをありがとうございます。それにしても、毎日暑いですね。バテています😡 ところで、伊達英太郎氏のことを知れば知るほど、凄い方だったんだなぁと気付きます。山本一清氏の信任厚く、天文同好会や東亞天文協会の中心に近くおられたのですからね。太陽写真、少しずつ公開していきますので、お付き合いの程よろしくお願いします。
  • manami.sh

    2022.07.28 22:20

    伊達氏については、最初に抱いていた火星観測者というイメージから、もっと広くより深いイメージを 持つことが出来ました。「天界」には太陽観測についての伊達氏の記事もあり、太陽観測もされていたんだという程度の知識でしたが、これまでにここに掲載していただいた記事・写真等から、太陽観測への伊達氏の思いも強く伝わってきました。 私が参考にしている資料は、たまたま利用している図書館が所蔵していたものです。 他は、ネット検索でしょうか。 これからも楽しみにしております。